red data animals

1981



あと数日で今年度が終わる。
来年はついに最終学年かと思うと感慨深いが、それどころではなかった。

朝食を前に、ぼんやりと視線を宙に泳がしていた。
脳裏に浮かぶのはスネイプの姿である。

数日前、廊下の暗闇の中でスネイプを見かけたような気がする。
しかし、彼がいまさらホグワーツに姿を見せるわけはない。

4年前に卒業したスネイプは中東の方の魔法薬学の研究機関に就職し、今は砂漠の砂にまみれて薬品を調合しているはずである。太陽の照りつけるエジプトで働く彼を想像するのは難しかったが、人類の発祥の地とされているアフリカは魔法の起源でもあるらしく、さまざまな研究機関がひしめいているらしい。
「カイロで魔法薬を研究する」
と彼から聞いた時、知を追及して対価を得る研究職はスネイプにいかにも似合っていると感心した。

それと同時に、スネイプは熱烈なヴォルデモートの信者だった。
この状況を、彼は喜んでいるんだろうか、とは朝食の目玉焼きをつつきながら思った。
闇の陣営の影響はホグワーツをも蝕み、日々に暗い影を落としていた。
毎日が誰かの親族の葬式で生徒達は自宅へ帰ったり寮へ戻ったりとめまぐるしいものだった。中には学園に戻る事を許さない家庭もあり、大広間のテーブルは半分埋まっていれば良い方だった。
しかし、スリザリンのテーブルは他の3寮とは違い明るい顔で溢れていた。
大声で言う者は少ないが、誰もが“彼”の思想に賛同していた。

そして、スネイプは学園生活を楽しんでいるようには見えなかった、かといって、長期休暇の帰省を喜ぶようなそぶりも見せなかった。
彼が今現在を少しでも楽しんでいればいいと願った。

たまに手紙のやり取りはしていたが、スネイプの具体的な生活は見えず、おざなりな近状が書きつけられているだけだった。
時折、同封してあるめずらしい薬品やレシピをこっそりと放課後に試すのがの楽しみになっていた。
近頃のホグワーツの状況は酷く、それくらいの自由しか残されていなかったのだから。

私はスリザリン生であったし、幸か不幸か「」だったので命の危険は無かった。
ヴォルデモートの批判さえしなければ、標準的な学生生活を送る事が出来た。
もっとも不幸なのは、マグルの血の混ざったスリザリン生だ。
彼らのほとんどはホグワーツを自主退校し、残りのしぶといのは目立たないようにひっそりと過ごしていた。

今朝も大広間のそこかしこで、ヴォルデモート派がそうでない者を見せしめに攻撃していた。校長のダンブルドアはその度に彼らを嗜めて場を静めるが、思想までは強制できないだろう。
教師も生徒も誰もかれもが疲れ果てていた。


そんなホグワーツに、スネイプは何の用で立ち寄ったのだろう。
すぐにスネイプに手紙を送ったが、まだ返事は無い。
最初は見間違いかと思ったが、彼の姿を見間違えるわけはないと、日に日に確信が強まる。
彼が居た廊下は校長室の近くの廊下だった。
黒い外套の裾を闇で溶かしながら急ぎ足で駆けていた。目深にフードをかぶっていたけど、一瞬だけ首をこちらの方に向けた時に視線があったような気がする。黒い髪の隙間から覗いた黒く光る眼がこちらを射抜いたように思えた。
追いかけようとする前に身がすくんでしまって動けなかった。
たとえばあれがスネイプの目だとしたら、見た事のない眼光だった。






それからひと月、夏休みに入り、8月になった。





リリーとジェームズが死んだ。
そしてヴォルデモートも。
生き残った男の子、ハリーの記事は連日そこらじゅうの紙面を賑やかした。
世界は急に極彩色を取り戻し、お祭り騒ぎだった。

しかし、それ以上に失ったものが多すぎる。
シリウス、ピーター、リリー、ジェームズ。
彼らの記事は激怒していたり、悲観的だったり、美談だったり、英雄だったり。
シリウスはアズカバンに送られた。
彼とはその事件の数日前まで手紙をやり取りしていたし、数週間前には会って話もした。不死鳥の騎士団の所属していた彼があんな事件を起こしたとは思えない。日刊予言者新聞の記事によれば、“服従の呪文”をかけられていた可能性も考慮して捜査を進めるとの事だが、この騒動の中で魔法省が正常に機能するとは思えない。
重要な参考物として、彼からの手紙も写真も魔法省にすべて没収された。数枚を隠す事は出来たかもしれないけれど、そんな小細工をする気力すらなく、シリウスとの交友の痕跡はすべて手元から消え去った。
とにかく言える事は、みんな失った。

その事に関してリーマスと話したかったけど、彼の受けた衝撃は計りしれず、なんて声をかければいいのか分からずに躊躇したまま、まだ何も言えずにいる。
それに、シリウスと近しい人間の動きはすべて監視されているはずで、そのうえ私は闇の陣営の中心に近いスネイプとの親交もあったのでなおさらだ。
リーマスにこれ以上あらぬ疑いをかけるわけにはいかない。

この騒ぎが夏休みの間で良かった。
独りで考える時間だけはたっぷりあった。
考えても結論が出るとは思えなかったが、考えないよりはましだろうと思った。

セブルスには一通だけ手紙を出した。
返事はない。








新学期、休み前よりも賑やかな大広間に入ると我が目を疑った。
ダンブルドア校長の後ろの教員の列の中にスネイプが居た。彼は相変わらずの無表情でダンブルドアを見ていた。「新しい魔法薬学の教師」だと紹介された時だけかるく礼をしてみせたが、それ以外は何を見ているのか何を考えているのかまったく見てとれない顔で平然としていた。
闇の陣営の関わっていた者への尋問はいまだ続けられているはずだったが、彼はどうやって切り抜けたんだろう。疑問は無限に沸いて来る。

新米教師は新米教師で、忙しく新学期の一日目をすごしているらしい。
朝食の後も昼食の間も授業の空き時間も、セブルスと向かい合える事は無く彼のローブの裾と横顔だけが視界の隅を横切る。
一度、グリフィンドールの新入生を前に嬉しそうに苦々しい顔をしていた。あいかわらずだ。セブルスのくせに。


夕食の後、消灯時間の少し前、やっとセブルスを捕まえた。
「セブルス!」
呼ぶと、セブルスは眉をひそめた。彼が歩みを止めている間に急いで駆け寄る。明らかかに迷惑がっている表情を見せたが、さりげなくつま先がこちらを向いたので安心して息を吐いた。

「セブルス。来年からは同僚よ」
彼は驚いた顔をする前に眉間にしわを寄せ、苦々しげに口を開いた。
「おまえがか。……来年度からの生徒は不幸だな。ホグワーツの教育の質も落ちたものだ」
「教員もばたばた逃げたり死んだりしちゃったから人手不足なの」
「居ないよりマシか」
「まあね。助手でもなんでもいいから欲しいんだと思うわ」

話題にするべき事は山ほどあった。
しかしそれを避けるように、滑り出てくる当たり障りの無い言葉は世間話の域を出ず、意味のある会話にはならなかった。
彼は表面上は以前までと変わりなかったが、中身まではどうだろうと頭によぎったところで、彼の内面なんて一度も感じた事がないと思いいたって背筋が冷えた。

「どうした」
黙っていると、セブルスは表情だけはこちらを窺うように顔を傾けて来た。彼を見上げて一歩踏み出すと、セブルスは身体を引こうとしたようだが気にせずにそのまま腕を出して胴体を抱き込む。
「なんだ、……いきなり」
セブルスの胸元に頭を押し付けて抱きしめると、彼のローブに身体が埋まる。
背中にまわした手でセブルスの服を掴んで息を吸った。もう昔のように薬臭いローブではなくて、彼の身の回りのなにかのにおいがした。
「人が来るまえには放せよ」
セブルスは抱き返してもくれないけど、そのかわり押し返そうともしない。
聞きたい事も言いたい事も考える事もたくさんあるはずなのに、それでも明日もセブルスに会えると思うだけで嬉しく思うなんて、言ったら相当あきれられるだろうと思って黙っていた。
セブルスの衣服にシワを付けられるだけで満足とか、絶対に言いたくない。