red data animals
コオロギ
スネイプは数ある寝室のうち、その他の住民の部屋から最も遠い部屋を選んで荒々しく扉を開けた。
引きずるようにを連れて、部屋の中央に位置するベッドへ大股で歩み寄る。も抵抗せずに従っているものの、その表情には複雑な色が見えていた。投げ出すようにをベッドの上に突き飛ばす。
「あなたって意外と、即物的な男よね」
は横倒しに倒れた身体の上半身だけを起こし、睨むようにスネイプを見あげた。
スネイプはベッドの脇に立ったまま重い外套を脱ぎ落し、シャツのカフスボタンを外している。
「お前の頭にはそれしかないのか」
スネイプは呆れたように言い放つと、ベッドに腰をおろす。警戒するを制し、上掛けを剥がしてシーツと羽毛布団の間に滑り込んだ。
「寝る。眠くてたまらん」
「いつまでここに居られるの?」
「夜明けにはホグワーツにダンブルドアが戻られる。それに合わせて我輩もそちらへ帰る」
上掛けの上からスネイプにのしかかるは、目を閉じた彼の顔を両手で挟んだ。が口を開きかけたところで、スネイプは早口で割り込んだ。
「別に、なんとも思わんな」
が身じろいで拠れた上掛けを首まで引っ張り上げてスネイプは言った。
「行儀の悪い駄犬が噛み付こうと、それを咎める事は出来まい。犬に人間並みの知性を求めても仕方ないだろう」
スネイプがふいに目を開け、を見据えたまま黙る。その鋭い視線を受けて彼女は身構えて身じろぎを止めた。
「それとも、あれが人間だと言うのなら、我輩はお前に対して呆れ、憤りを覚えなければならん。正直、お前らごときにそのような感情を抱くのは面倒だ」
「彼は半分は犬だから、あなたは半分怒るだけでいいわよ」
は冗談めかして誤魔化す。しかしスネイプは口を閉じたまま黙って彼女を見つめるのばかりなので、おもわず目を逸らして黙り、歪んだ笑みを浮かべてしまう。
「まったく、保身のために知人を犬扱いとは、人間の風上にも置けないやつだな」
スネイプは呆れた声で言うと、寝返りをうってに背中を向けた。
「胸に突き刺さるわ」
「あたりまえだ」
「眠るんじゃなかったの?」
「これは寝言だ」
「ああ、そう」
はスネイプの背中に向けて肩をすくめる。
「お前はどうせあれを哀れんで軽い気持ちで同調していたに過ぎんだろうが、あれは人間の同情なんていうものを感じ取れるほどの感性は持っておらん」
「もう黙ってくれないかしら」
はスネイプの肩に手をかけて、彼の身体を仰向けに直した。そして顔を挟むように手を添えようとするが、スネイプにその手首をつかまれて怯む。スネイプは黙ったままの顔を眺めていた。焦れたがスネイプの手を振り解き、ベッドに手をついて顔を近づける。髪の毛が首の後から流れ落ち、毛先がスネイプの首を撫でた。
はスネイプの顔を手のひらで挟んでくちびるを緩く動かす。しかし協力的ではないスネイプには気分をそがれて顔を離した。
「驚いたな。おまえの頭には、まさにこういう事しか浮かばんのか」スネイプは目を開け、しっかりとした目つきでを見据える。
「そのような身持ちだからこそ、あんなことになるんだ」
「私は別に……」
「同情と厚意の区別もつけられない奴が中途半端に手を出すと碌な事にならん。その気が無いのなら放っておけ」
スネイプと目を合わせられずにいるは黙ったままベッドのシーツを睨んでいた。目の端にはスネイプの顔が相変わらずを眺めている。スネイプが溜め息を尽き、は思わず身を硬くする。それを見たスネイプは苦笑して、ようやく口を開いた。
「どうした。黙らせるのはあきらめたのか?」
は悔しそうに唇を噛み、それでも彼の手の促がすままに身を倒した。
寝言のような叱責を続けるスネイプの言葉をくちびるで受け流しながら、は熱を持った舌の動きに没頭していた。
ところが、先ほどから窓をコツコツと叩く音が聞こえる。スネイプが忌々しげにそちらの方を見ると、何か白っぽい鳥のようなものが窓ガラスを叩いていた。それが何かを判断する前に、今はもう使われなくなって久しい暖炉が突然赤い色の炎を勢いよく噴出した。
とスネイプは驚いて顔を暖炉に向けると、その中身を見て息を呑んだ。揺らめく炎の内側には、ダンブルドアの顔が見える。
「いや、申し訳ない!」
驚いたのはダンブルドアも同じだったらしく、彼は反射的に謝罪の言葉を口走った。
「ノックはしたつもりじゃったが、そういえば返答を聞くのを忘れていたのう」
スネイプは最低限の身支度を整えた後、暖炉から校長室に現れた。
そしてダンブルドアの前に立つなり素早く目礼をすると、成すべき報告を簡潔に述べた。ダンブルドアは静かに表情を変えずにそれを聞いていたが、頭の中では膨大な策と予想と結果を思案している事が見てとれた。
そして2、3の言葉の応酬があり、スネイプは自分が求められていた事柄を全て報告した事を判断し、ダンブルドアも頷く。そしてまた一礼してきびを返し暖炉へ向かった。
「セブルス」
しかしダンブルドアの控えめな声が彼を呼び止めた。スネイプは訝しげな顔で振り向く。
「いやいや、さきほどは……野暮な事をしてすまなんだ」
ダンブルドアはすまなそうに顎鬚をかいた。
「夜明けの予定が、少し早まっての。若い二人を邪魔する気は毛頭ないんだが、老い先短い老人に残された時間は、無限というわけにはいかないのでな」
返答に困るスネイプに構わず、彼は言葉を続けた。
「別に、まずいところを見られたとは思わんでくれ。君とがそういう間柄だという事は知っておったしな」
スネイプは反射的に身構え顔を強張らせる。
「いいんじゃよ、セブルス。嬉しく思っておる」
ダンブルドアは無表情でその場に立ち尽くしているスネイプを見て目を細めて微笑んだ。
「愛は何よりも強い」ダンブルドアはスネイプの顔から目を逸らし、空を見るような目つきで呟いた。そしてスネイプに向き直り笑みをこぼす。「……陳腐な物言いに聞こえるかね?」
スネイプはどう答えていいものかと考えあぐねているようで、口を閉じたままダンブルドアの言葉の先を待った。
「どんな危機的状況に陥っても、愛を望む事だけはやめられないのが人間じゃ」
ダンブルドアは言葉を切り、溜め息を吐くかのようにまた口を開いた。
「そして、愚かな間違いをさせてしまうのが愛なら、勇みすぎた足に枷をかけるのもまた愛だ」
そう言うダンブルドアの顔には言葉に似合わず、疲れと悲しみが滲んでいた。スネイプは何も言わず、むしろダンブルドアの普段見せない表情にあきらかに動揺していた。
しばらく二人は黙ったまま向かい合い、頭の中に言葉をめぐらせてその意味を掴もうとしていた。
ふいにダンブルドアは表情を緩め、暖炉を手のひらで示す。スネイプは一礼すると、暖炉へフルパウダーを投げ緑色の炎に身を投じた。
「彼の良心に訴えているつもりか?」
スネイプの姿が完全に見えなくなると、嘲笑するような声が聞こえた。ダンブルドアは声の主を見止めると力なく微笑んだ。
「フィニアス」
壁に掛けられた多数の肖像画の中で、痩せた男が歯を見せて意地悪そうにせせら笑っていた。
「ただの老人のたわごとじゃよ」
「アルバス、彼に良心など求めても無駄だ」
「そうかね? 誰の心の中にも良心はあるものだと思うがの。愛と同じくに」
「コオロギなど蛇が食べてしまうわ!」フィニアスは鼻を鳴らして馬鹿にしたように笑う。「彼はスリザリンだ。目的の為には手段を選ばず、そしてなおかつ自身の保身も忘れない狡猾さを持っている」
フィニアスは誇らしげに言い切るが、ダンブルドアが思ったほど衝撃を受けていないことに若干腹を立てているようで、イライラと続ける。
「しかしアルバス、おまえは良心よりももっとえげつない物を利用しようとしている」
「ほう?」
ダンブルドアの目に初めて興味の色が灯ったので、フィニアスは鼻を鳴らして笑う。そして効果的な間を十分に取った後、平面的な口を開いた。
「罪悪感だ」
フィニアスは満足そうに口元を歪める。「お前は彼の罪悪感を巧みに刺激し、協力せざるを得ない状況を作り出そうとしている。彼にわざわざ新たな弱みを作らせるなど、暗に人質を取って脅迫しているようなものだ」
「弱みではなく、強みじゃよ」
「どうだろうな、今度は彼にどんな罪悪感を植え付けるつもりだ?」
ダンブルドアはゆるく首を横に振る。そしてフィニアスから目を逸らし床を見つめながら言葉をこぼす。
「考えすぎじゃよフィニアス。ただわしは、彼にも幸福を感じて欲しいだけだ」
「幸福だと?」
フィニアスは軽蔑するようにダンブルドアを見た。
「人生でもっとも幸せな事はな、フィニアス。人を愛し、またその人からも愛される事じゃ」
「彼が誰かを愛しているだと?」
「何が言いたい?」
「彼の献身的な働きぶりの動力の源を巧みに利用しているお前が、それに気付かぬわけは無いだろう」
ダンブルドアがフィニアスを睨みつけるような目付きになるが、それも一瞬だけの事で、その目は変わらず半月型の眼鏡の奥で優しそうに細められる。
「続けてくれんかね、フィニアス。あいにくわしには心当たりが無いゆえ、君の示そうとしている意図を掴みかねる」
フィニアスは額縁の中で黙り込み、ダンブルドアの真意を探ろうと目をこらした。しかし微笑を崩さないダンブルドアの表情に興味を失ったのか、呆れたように投げやりに言葉を放った。
「ふん、もう死んでいる私には関係のないことだ」
「さよう、愛とは生きている者同士の間で交わされるべきものだ」
ふいにダンブルドアが表情を緩める。
「まさか、こんな深夜に君と愛について語り合うとは、長生きもしてみる物じゃな」
「まさしく。このような話題は艶っぽいご夫人と語り明かしたいものだ」
「君は十分に艶っぽいよ、フィニアス」
フィニアスは眉をひそめ、怪訝な表情を作る。ダンブルドアは小さく笑い言葉を続ける。
「年月が更に磨きをかけた高級品のワニスは、いまも君を艶やかに輝かせている」
「む、」フィニアスは顎を引いて笑うと「そうだ、私の纏っているワニスは最高級のダンマル樹脂である」と誇らしげに胸を張った。
ダンブルドアは笑みでそれに答え、言葉を切った。
スネイプの残していった暖炉の残り火を覗き見てみようかと好奇心を刺激されたが、彼の心に豪邸を建てて鎮座している彼のコオロギと左肩の天使が咎めたので、あきらめて机の上の羊皮紙に目を落した。
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20007/11/14