OWN UP

グリモールドプレイスの夏の蒸し暑い夜だった。
ベッドの上でだらだらと雑誌を広げていたは眉をひそめる。
石造りの壁になにかがぶつかる鈍い音が響いていて、は無意識に音のほうへ顔を向けた。
少し緊張して杖に手を添えて壁を背に扉を薄く開ける。
「んん?」
隙間から廊下を覗き見ると、シリウスが壁に手をあててこちらの方へ歩いてきていた。
こんな時間に何があったのかと、扉を開けると、うつろげな顔のシリウスが居た。

シリウスはちょうどドアノブに指を伸ばそうとしていた最中で、思わずに開いた扉に目を見開いたが、の顔をみて表情を緩めた。顔はこころなしか上気して赤くなっている。それは夏の夜の暑さのせいだけではないように見えた。マツゲの奥の目尻には涙の粒さえ見え隠れていて、は思わず眉をひそめる。
「……シリウス?」
「よお、。実はな……」
 途切れた彼の言葉の続きは水音にかき消された。
「え! ちょっと、シリウス!! こんなところで吐かないで!!」
戸口に落ちた吐瀉物を踏まないようにが飛び出す。
「うぅ……わり……っう」
「いいから、こっち」
シリウスは反射的に口に手を当てるが、その動きは緩慢でふらついている。シリウスの腕をとってはバスルームへひっぱっていった。
シリウスはこみ上げてくる衝動になんとか口を閉じて耐え、便器の前にたどりつくとシリウスは膝をついた。
は眉根を寄せて彼の背中に手を置く。肩を滑り落ちる彼の髪を手近にあったデンタルフロスの紐でくくり、後で絡もうが自業自得だと一人ほくそ笑んだ。


気の済むまで吐き出したシリウスはよろよろと洗面所へ移動し、口をゆすぐと背後のへ鏡越しに情けない笑みを浮かべる。
「笑い事じゃないから」
「あー、ああ。……もうしわけございません、だ」
へっ、と口先だけで謝るシリウスに水のグラスを手渡すと、はため息をつく。
「なに? 酔ってるの?」
「いやー、ついな……」
「限度ぐらい知ってるでしょう。……だいたい、なんで私の部屋なの」
「いや、夏だし、……気分が良かったから裏庭で飲んでてよ。部屋に戻る途中だったんだけどな、おまえの部屋のほうが近かったんだ」
「そのまま裏庭で倒れてたら、良い肥料をまけたのにね」
「……わるかったって」
言葉だけは神妙に詫びているが、空になったグラスを突き出すシリウスは明らかに二杯目を要求していて、そのふてぶてしさにはかすかな頭痛を覚える。それでもつい、水を提供してしまう自分は意外とお人よしだと思った。

「……迷惑かけたな。ありがとよ」
「どういたしまして」
三杯目の水も一息で飲み干し、手の甲で口をぬぐったシリウスはふらついた足でバスループを出る。
「ひどい格好ね」
シリウスのシャツには酒とかすかな吐瀉物の臭いと、はねた水が染みていて酷い有り様だった。
彼はそれに気づいて顔をしかめるが、それ以上にひどいのは気分らしく、どうしていいのか判断をしかねているようだった。

「ほら、それ脱げば? 汚れくらい魔法でなんとかしなさいよ」
「えー、ああ。そうだな」
「大丈夫?」
「正直言うとな、俺はいま杖振ったら屋敷、爆発させるぜ」
「でしょうね……部屋まで送ってきましょうか?」
「……いや? じゃなくてだな、むしろ」
「うん?」
「泊まってく。喜べよ、酔い潰れた俺の介抱をさせてやる」
普段通りの言葉使いに気が抜けてまた追い出そうかと思うが、よく見てみればシリウスの顔色は本当に悪くて立っていることすらおぼつかないようだった。
「まあ、とりあえず……ちょっと寝ていきなさいよ」
「ああ、悪いな」
「ほんとにね」
嫌味を込めたが、彼がそれに気付いても気付かなくても同じ事だ。


風呂を使って汗をかいたシリウスは少しは回復したようで、水を飲むと力の抜けた顔で笑った。まだ顔はかすかに赤いが、それはほとんど湯の蒸気のせいだろう。
無遠慮にもタオルを肩にかけただけでベッドにもぐろうとするシリウスから眼を逸らし、取り急ぎクリーニングの魔法をかけたシャツを投げつける。
「ちょっと、ほら、着て! ソファで寝てよ」
「ああ? いいだろ。別に。一緒に寝るか?」
「ゲロくさい人とは寝ないし。……さっさと寝たら?」
「いつでも歓迎するぜ?」
シリウスは片目を眇めて笑うと眼を閉じた。



も風呂を使って寝室に戻る。
伸びをして窓を見ると、東の空が白み始めていた。
そういえば、シリウスの具合はどうだろうかとベッドを覗き見る。

シリウスはさきほどまでの顔色の悪さを感じさせないほどに気持ちよさそうに寝息を立てていた。
まあ、彼の屋敷ではあるけれど、人の寝室でよくもここまで尊大にに眠れるものだと呆れてため息をついた。
それと同時に、こんな人間と数ヶ月とはいえ好きなように好きな事を出来る時期があった事を不思議に思える。
そして、今ではお互いを自分のために利用して過去の思い出を汚しているのかと思うが、元から綺麗な記憶ですらなく、成長の感じられない関係にこちらが吐きたい気分だ。


カーテンの裾からはすでに朝日の気配が漏れていて、ここ最近睡眠の足りていない眼球にははまぶしくて目がくらんだ。
なんとなくシリウスの横にしゃがみこみながら寝顔を見下ろす。
閉じられたまぶたすら整っている顔はいくら眺めていても飽きることはなかったなと、つい腕を伸ばしそうになったところでシリウスが身じろいだので、あわてて手を引く。眠ったまま寝返りを打ったシリウスはに背を向けた。

シリウスの背中をなんとなく見ていたら、つい魔が差した。
ベッドがきしんで罪悪感を刺激するが、睡眠の足りない頭には効果がない。
背後に寄り添い寝転んでシリウスの体を抱き込むように腕を乗せる。寝ているシリウスもさすがに気付いたようで、なにかを呟きながら腕を上げて首の後ろにある頭に手を当てて引き寄せるが、違和感を感じたのか硬直した。

「……あ?」
体を捻って背後を確認したシリウスは驚いて体を起こそうとする。
しかし、思いのほか強い力でがしがみついたので、その腕に手を添えて握り返した。「知ってるでしょ、ベッド一つしかないって」
「ああ、……そうだったな」
シリウスは上体を起こして身体を反転させに向き合うと腕に抱き込んだ。
身じろいだを無理やり押さえつけて、その肩口に鼻先をうずめる。は最初のほうこそ抵抗をしていたが、じきにあきらめた。
シリウスが笑ったので、の顔周りの空気が震える。
「なんだおまえ。自分からくっついてきたくせに」
「だって……」
「寝てる人間に手を出すなんて卑怯だと思わないか?」
「起きてたじゃない」
「ああ、おまえを待ってたんだ」
「嘘つき。……シリウス、なんで私の部屋に来たの?」
「寝ろよ」
「もう、飲まないと来れないの?」
「いや、どうだろうな」
「……おやすみなさい」
「おやすみ。逃げんなよ、せめて朝まで」

押し問答が面倒になったのか、眠気に負けたのか、シリウスは寝息を立てはじめた。
ああ、そうだ。こんな状態でも気にせず眠れるのがこの人だったとあきれてしまうが、それならいっそ酔って寝ぼけて見た夢だと思ってくれればいいと思っては苦笑した。

はシリウスの胴体にまわした腕に未練がましいと思いながらも一度だけ力をこめて抱きしめて腕を放し、立ち上がる。
適当な空き部屋はたくさんあるだろうし、ホグワーツに帰ってもいい、面倒なことから逃げるのは大人の特権だと微笑んで部屋を出た。



2011/8/25