red data animals

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 翌朝、すっきりしない頭を抱え、は食堂を覗き込む。
 窓を覆っていたカーテンは全て開け放たれ、鬱々とした色の重厚な虫食い穴も朝日を吸い込み、少しばかり明るい色に見える。
「おはよう、!」モリーはキッチンとテーブルの間を急がしく行き来し、朝食の準備に励んでいた。
「おはよう」とは返礼しつつも、目は食卓に着いているシリウスを見ていた。
 
 シリウスが居心地悪そうに、テーブルに肘を付いている。を見とめると力なくほほえみ、隣に座るようにと促がした。
、昨日の……」
 シリウスがためらいがちに口を開くと、モリーの杖の一振りで現れた食器類が音を立ててその言葉を打ち消した。
「モリー、少し席を外してくれないか?」
 シリウスはイライラとした顔でモリーを見る。
「外してくれですって?」モリーは腰に両手を当て、肩を怒らせた。「私が何のために朝早くから起きてると思うの?」
「俺の屋敷だ」
 憮然とした表情でシリウスは首を若干のけぞらせるが、モリーは気にする様子もなくテーブルメイキングを続けた。
「厨房は私の城よ」
「屋敷と城じゃぁ、」がくすくす笑って口を挟んだ「城主の方が位が高いわね。あなたの負けよ、シリウス」
 シリウスは肩をすくめる。
「あいつ、好きでみんなの世話をやいてるくせに」
「あなたと諍うところまで好きなのよ」
 お互いに顔を見合わせ笑いあうが、シリウスはふいに深く息を吐いた。
「昨夜のことは、悪かったと思ってる」
 は片眉を跳ね上げる。
「お前、やめろよ、それ」
 シリウスはあからさまに顔を歪め、憎々しげに言った。
「何を?」
「ほら、それだ」
 再度跳ね上げられた眉を見て、シリウスはイライラとした声を上げる。
「そんな顔してると、眉間に皺がよって鼻がでかくなるぞ」
「ああ、」
 は自身の眉間に指先で触れ、ようやく自分の眉の動作を意識する。
「気付かなかったわ」
 シリウスは片目を歪め、不機嫌そうな顔で黙っている。
「クセって、いつのまにか移る物なのね」
 シリウスは再度溜め息を吐く。
「違うんだ。いつも俺は伝えたいことから脱線してばかりいる」
「そういえば、」
 うしろめたそうな顔で言葉を紡ぐシリウスを黙らせるように、がのんびりとした声でさえぎった。シリウスは困ったように眉を歪めるが、口を閉じて彼女の言葉の続きを待った。
「昨日の夜、あれから食卓の下を覗いてみたらね、コンフューマドワセールが居たのよ」
「コンフューマ……なんだって?」
「フランス産のダニの一種で、錯乱させ正気を失わせる成分の分泌液を霧状に噴出させる虫よ」
 が頭の中の本を読むように諳んじる。
「本当にそんなのが居たとしたら」二人の顛末を推して知ったモリーが、心底呆れた声を出す「新種魔法生物保護委員会に通報するべきだわね」
 は肩をすくめ、モリーと目を合わせた。彼女は呆れ顔でキッチンへ朝食の準備へ戻る。

「錯乱してたって事は……おまえ、」シリウスは顎をさすり、何食わぬ顔で言った。「正気だったら俺を拒まなかったって事か?」
「あんたって、本当に!」
 は気の抜けた声を出したが、顔には笑みを浮かべている。
「それだけ楽観的な事が言えるんなら、あなたは何も損なっていないわね」
 シリウスはにやりと笑っての肩を叩き、食卓に着くように促がした。礼儀正しい紳士のようにイスを引いてを座らせる。その横に自らも腰掛けと紅茶のカップ同士を空中で触れ合わせた。「健康に」と言うシリウスの場違いな乾杯の言葉には笑みを零す。カップを持ったお互いの腕を交差させて熱い紅茶に口をつける。
「そんな事をしてると零すよ」
 妙な儀式をしている二人を訝しげに見てルーピンはシリウスの向かいのイスを引く。シリウスとは顔を見合わせて笑い、彼の予想通り洋服に紅茶の染みを作った。

 モリーの「朝食! 集合!」という声に目を覚ました屋敷の住人達がぽつぽつと食堂に集まり始める。
「みんな一日中それぞれの仕事で忙しいんだから、朝食くらいはみんなで食べるべき」という主張を持っていた。彼女は食事を作っている者特有の権力を振りかざしていたので、睡眠時間に関わらず出来るだけ決まった時間に朝食を取るという暗黙のルールが住民達に染み渡っていた。皆、面倒がりながらも嬉々としてそれに従っていたのは、モリーの料理の腕によるものだけではないはずだ。

「ずいぶん機嫌が良さそうね、」腕を頭上に上げ伸びをしながら食堂へ入ってきたトンクスはに目を留めた。「明け方、帰ってくスネイプを見たわよ」そう言ってにやりと笑うと、の向かいに腰を下ろす。
「なんでスネイプが関係あるのさ」
 ロンは“スネイプ”という固有名詞に吐き気を催したように顔を顰めた。
「バカね」トンクスはロンを馬鹿にしたような目で見やる。「大人には大人の息抜きが必要なのよ」
 ロンは一瞬むっとした表情を見せたものの、モリーの運んでくるトーストの山に気を取られそれ以上の追求を諦めたようだ。
「でも私なら」ロンの様子でさらに気を良くしたトンクスは、食堂に足を引きずりながら入ってきたムーディーの方を見た「マッドアイの居る屋敷でなんか楽しむ気にはなれないわね」
「ム、」部屋に入るなり矛先を向けられたムーディーは心外だとでも言うように、元から歪んでいる顔を更に引きつらせる。「わしとて、それぐらいの礼儀はわきまえている」
 ルーピンは腰掛けたまま腕を伸ばし、隣のイスを引いた。会釈で返礼したムーディーは大儀そうに腰掛け、を見てにやりと笑う。「しかし、若者どもの騒動は危なっかしくて心臓が止まりそうだ」
 は艶然と微笑み返す。それを見たトンクスは顔を崩して笑った。
、次はスネイプに強心剤を調合しておいてもらったら?」
 ムーディーは特に気分を害する様子も無く、目玉をぐりぐり回して焦げ目の無い安全なトーストを選んでいた。
「あなたにも分けてあげましょうか」
 はトンクスに顔を寄せ、くすくす笑う。
「あら、私達には蘇生薬が必要よ!」
「ああ、」は納得したと言うようにルーピンの顔を見た。トンクスがの言葉に割って入り二人の声が重なる。「狼だから」
 思わぬ言葉にあわてて紅茶を噴出すルーピンを見て、とトンクスは無責任に笑い声を上げる。シリウスは何かとんでもなく信じられない物を見るような目でルーピンを見ていた。
「おまえ……」
「べつに、彼女達は冗談で言ってるだけだし」テーブルクロスに付いた染みを指で擦りながら、後ろめたそうに答えた。「僕らは、もうそういうことを報告しあうような年でもないだろう?」
「おまえはいつもそうだよな」シリウスは勢いよく背もたれに沈みイスを軋ませる。「気付かないうちに、一番かわいい娘と仲良くやってた」
「あら、その話すごく興味があるわ」トンクスがシリウスに詰め寄り、顔を輝かす。「私が可愛いってこと?」
「もちろんだ、ニンファドーラ。可愛い名前のお嬢さん」
 シリウスはにやりと笑う。「あとで教えてやるよ、あいつが困るくらいにな」そしてルーピンの顔を窺うと、彼はまた咳き込んだ。
 
「そういう話は、時と場所を考えてして欲しいわね」
 焼きあがったばかりのマフィンを大皿に乗せたモリーが困ったような顔をして大人たちに釘を刺す。
「まったく」呆れたような声を出すが、目は新しいゴシップに輝いていた。「少しは手伝ってちょうだい、お嬢さん達」
「オーケー、ママ」
 はくすくす笑い、立ち上がろうとするが、トンクスがそれを制した。
「私が行くわ、モリー。はくたくたみたいだから」
 そして意味ありげな顔で微笑み、「モリーは噂話の相手が欲しいだけなのよ」とに耳打ちして、モリーが期待に顔を輝かせて待つキッチンへ急いだ。


「眠くて死にそう」
 身代わりになってくれたトンクスにヒラヒラと手を振り、はあくびを噛み殺す。
「寝たら死ぬぞ」
 シリウスはのカップに熱い紅茶を継ぎ足した。
「ブランデーをちょうだい、私のセントバーナードさん」
「あんなずんぐりむっくりと一緒にするな」
 シリウスが気分を害したように顔をしかめる。
「犬なんてみんな一緒だわ」
「僕だって、狼の種類を見分けられるかどうか自身がないよ」
 ルーピンは二人のやりとりに笑みを零す。
「私は、ニホンオオカミとヨーロッパオオカミの違いが解る女だから、安心してね」
 厨房のほうでこちらを盗み見ながら、紅茶を片手にモリーと情報交換をし合っていたトンクスが叫ぶ。
「愛の眼力ね」
 は目を細めてルーピンを見る。ルーピンは肩をすくめ口を閉ざす。朝食の続きを平然と取り続けるルーピンを面白がるように眺めていたシリウスは、茶化すように口を開いた。
「それの見分け方は簡単だろう?」
「どんな?」
 面白がるように先を促がすが顔を寄せる。
「ニホンオオカミは小さくて硬い。ヨーロッパオオカミは柔らかくてデカイ」
「シリウス!」
「体格と毛質の話だ」
 あわてるルーピンにシリウスは真面目な顔で答えると、口を開けて豪快に笑った。
 
 はつられて笑い、シリウスとルーピンの応酬から目を逸らしてテーブルを見回す。
 ジニーとハーマイオニーは切れ切れに聞こえてくるヒントを耳にしては、それから導き出される人間関係に驚きを隠せずに顔を見合わせていた。二人と目が合ったので、とりあえずほほえむと彼女達はさらに好奇心に顔を輝かせた。あとで問い詰められる事を考えると困ったような楽しいような複雑な気分になる。
 それぞれの顔には、眠ったぐらいでは取り去る事の出来ない疲れとか恐れが滲んでいた。しかし表情だけは明るく、各々談笑に花を咲かせている。
 今日も暗いニュースばかりが耳に入るだろうが、せめて朝食の間ぐらいは、明るい顔をしてバカみたいに笑って、朝日を浴びていたかった。





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2007/06/0