Ecliptic Quest







 羽毛布団にくるまっていながらも、染み入る真冬の寒さで覚醒した。いや、習慣かもしれない。
 身に染み付いたタイムスケジュールは、たとえ休日の朝でも平日と同じ時間に活動を開始しようと脳を急かす。しかし、今日は休日なのだという事実におぼろげな思考でたどり着き、もう少し惰眠に浸っているのも悪くないだろうと目を閉じた。冬の朝の温もった寝所は格別だ。
 室内は快適な温度に調節されているが、この冬の気候真っ只中ではさすがに掛け布団に包まっていなければ寒さを感じる。いつのまにかずり落ちてしまっていた羽根布団を首のあたりまでたぐり寄せようと腕を上げると、何か軽い抵抗を感じた。
 左手の指が引っ張られるような感覚に不快を憶え、不信感を供に目を開けて指先を見た。

 すると薬指の根元になにやら細い糸が縛り付けてあった。目を凝らすとそれは細い金属の鎖のようで、朝の弱い光を反射して鈍く黄金色に光った。指から長く垂れた鎖の先はベッドを這い、ドアの下の隙間を潜り抜けベッドルームに付属しているバスルームへ侵入し、また這い出て寝室の外まで繋がっているようだ。
 無駄とは思いつつも、金の鎖を引いてみるが、バスルームのなかの何かに引っ掛かっているようで、ドアの下からたるみ無くピンと張るだけで手元にたぐり寄せる事は出来ない。
 まったく覚えのない装飾具を困惑気味に凝視していると、(なるべく思考からは遠ざけようと努力はしていたのだが)見知った顔が浮かんでくる。。彼女しか居ないだろう。そもそも、就寝中に寝室のあたりを人知れずにうろつける人間が他に居てたまるものか。


 面倒な事になった。
 しかしどう見てもこの鎖は華奢で脆く細く見えた。引き千切るように指で摘んで引いてみるが、思いのほか屈強であるらしく壊れる気配は無い。
 枕元に置いてある杖を取り、対象を破壊する光線を放つも効果が無い。2、3思いついた呪い解除の呪文を向けてみても一向に鎖の千切れる気配は無く、我輩は溜め息をついた。
 認めたくは無いが彼女はそれなりの能力を持っている。特に、人をバカにする種類の呪いは得意中の得意だ。バカとハサミは使い様だとよく言うが、バカがハサミを使うと碌な事にならない。
 数分間ベットの上でぐずぐずと無駄な抵抗を試みるが、結局は気の進まないままベッドから降りて、金鎖を辿るように洗面所のドアを開けた。


 何か、凄まじく悲惨な事になっているのではないか、と警戒しつつドアノブを捻ってみるが、(金鎖が床に垂れている以外は)特に変わったところも無く、平常時の見慣れたバスルームだった。
 腕を動かすと金鎖は床のタイルとぶつかり合い、かすかに硬い音を立てる。起き抜けの頭には障るが仕方がない。左手に緩く巻き取るように金鎖を手繰っていくと、何か引っ掛かるような手ごたえが合った。
 鏡の前の洗面道具の歯ブラシを挿したコップに金の鎖が巻きつけてある。鎖を引けば、ただ単純にそこに置かれて居るだけのはずのコップは倒れそうなものだが、びくともしない。
 とすると、これは魔法的な何かでその場に固定されているのだと考えるのが道理だろう。懐から杖を取り出しコップへ向け、どのような呪文が掛けられているのかと探ると、何の事はない。
 杖をしまい、歯ブラシを抜き取り、コップを無造作に手に取り水を貯める。引っ掛かる支えを失った鎖は音を立ててホウロウのシンクに落ちた。
 コップに掛けられていた魔法は、指定された使い方以外で物体を動かそうとするとテコでも動かない。しかし、定められた使用方では簡単に動かせる。という魔法だ。……おもに子供のしつけに使用される。
 若干傷ついたプライドを無視するように、我輩は乱暴に歯を磨こうとしたが……自身の健康のために平常通りにすました。日々の習慣をごときに乱させるのは我輩の自尊心が許さない。

 そしてさらに2、3の身支度を整え、金鎖の示す通りにベッドルームへ戻る。親切にも鎖はクローゼットの中にまで這い、我輩の衣服まですでに選んでいた。
 の事だから、突拍子もない珍妙な衣服を指定しているのかと思ったら、以外にもこざっぱりとした普通のシャツにその他だった。自身の選んでいない品物がクローゼットに掛けられているのは奇妙な感覚だが、どれも新品のままパッケージされているので悪い気はしない。さりげなくタグに刺繍されている店名が小ざかしかったので含み笑いが漏れる。
 薬指を鎖でつながれたままで着替えるのは骨が折れるだろうと思ったが、用意のいい事にシャツの袖にはすでに金鎖が通っていて、思いのほか容易に着用する事が出来た。つまり、我輩が無駄に切り裂いたのは寝間着一着だけですんだという事で、それはとても喜ばしい。たとえ魔法的に再生が可能でも、仕立ての良い衣服をわざわざ傷つけるなど冒涜だ。




 完全に身支度を整え、寝室から職務室への扉を開ける。鎖の行く末をざっと目で辿ると、どう見ても扉の下を潜り抜け廊下まで到達しているようだ。せめて個人に与えられている私的空間で完結していれば、というささやかな希望を打ち砕かれてしまった。
 平時ならば朝食を取りに食堂へ赴きたいところだが、このまま鎖を引きずって行くのは気が引けた。

 幸いなことに正月休暇中の朝方の城内に人気は無く、このまぬけな姿を他者に見られることはなさそうだ。つまり、好奇な目を感じるのは壁にかけられた絵画からのみという事だ。
 途中、不自然に傾いた絵画があったので注視すると、スペインの闘牛場の絵の中に居るはずのマタドールが、牧場の朝を描いた額の中で羊飼いの少女と仲良くしていた。苛立ち紛れに乱暴に絵の傾きを直すと、羊どもが驚いて丘の上を散り散りに走り去っていってしまった。あわてた少女が羊を追い、マタドールは無意味に赤い布を振り回した。
 いい気味だ。……が、その横には魚料理を食している最中の貴婦人達の絵画が掛けあった。額縁の中の彼女達が扇子で口元を隠して笑い始めたので足早に通り過ぎた。
 我輩の起床直後の胃袋も朝食を欲していた。この際、魚だろうが羊だろうが牛だろうがなんでも良い。
 
 それにしても、この金鎖は長すぎはしないか。
 すでに何マイルもの鎖を左手に巻き取っているように思えるが、不思議と不快なほどには重さを感じない上にかさばらない。きっとなにか、都合のいいそれなりの魔法をかけたのだろう。そのあたりの用意周到に更に腹が立つ。つまり、の気遣いは我輩を彼女の意図通りに煩わせる為だけに発揮されているのだ。


 無心で鎖を辿っていくと、雰囲気の違う界隈にたどり着き、思わず我輩はうめいた。
 獅子をかたどった文様がそこかしこに散らばっている様子はまさにグリフィンドールの領内のようだ。できる事ならば、このようにライオンに見下ろされるような場所は不快なので早く立ち去りたいのだが、金の鎖が床を蔦っているのだから仕方がない。
 さらに不快なことに、現在のホグワーツでは奇妙な事が流行していて、グリフィンドールの廊下には点々と沼が存在している。もちろん、それは望ましくない事で歩行には注意を要するが、ある意味快くも思える。昨年までならこんな迷惑な沼は魔法で消し去って、造り出した者(もちろん察しはついている。あの忌々しい赤毛の双子に違いない)に罰を与えるのだが、我輩にはその権利が有るのか判断しかねるので無視をするしかない。

 しかしどうやら無視も出来ないようだ。
 鎖の先が沼の中に沈みこんでいる。
 軽くめまいを覚えるが、沼の前に立ち尽くしていても仕方がないので鎖をたぐり寄せるように引くと、抵抗を感じた。嫌な予感がする。警戒しつつ更に鎖に力を込めると、沼の中からずるずると何かが引っ張り出されてきた。
 泥にまみれていてよくは解らない。が、我輩の拙い人生経験から推察するに、これらはカニだ。小さなカニは金鎖をハサミで掴み、離そうとしない。見ているだけで忌々しい小さな生物を踏み潰そうと足を上げると、途端にカニはハサミを開き沼の中に戻っていった。たぶんその内にチョウ・チャンあたりが捕まえて粥の具にでもするに違いない。彼女は越寮漁業をいとわない民族だ。
 やつあたりの機会すら奪われた我輩は、また鎖を目で追い、見えてこない終着点を思うと頭が頭痛で痛い。


 さらに歩みを続けると、鎖はグリフィンドールを横切るだけのつもりらしい。廊下をまっすぐ進んでいくと教室の並ぶ区画に入った。単調な道のりにいささかの退屈を感じ始めると、ようやく変化が訪れた。
 なにやら鎖は扉の下を通り部屋の中へ入っている。
 扉上部のネームプレートを確認すると、思ったとおりそこはマクゴナガルの使っている部屋だった。正確には変身術の教室だ。彼女の自室でないだけましなのかもしれないが。

 意を決して扉を開けると、なにやら動物の悲痛な鳴き声がする。察するにネコだ。
 並ぶ机の下を覗き込んで奥まで進むと、毛だるまの小動物が金鎖に絡まってもがいていた。目の周りにメガネのような模様があるトラ猫だった。
 一瞬、身が固まるが(まさかマクゴナガルか?)それは杞憂のようで、どうやらただのバカなネコらしい。彼女がこんな物に脚を取られるわけはあるまい。
 まとわりついた鎖を解いてやると、足元に寄ってきたのでつい頭をひと撫でしてしまった。するとネコは我輩の顔を見上げ、どこか人間らしく瞬きをした。そして先ほどまでの無様な格好からは想像も出来ないほど偉そうにニャーと鳴いて、教室を出て行った。
 
 気を取り直して金鎖をたどる作業に戻る。
 部屋を出て廊下を更に進むと、また私室の前に戻ってきた。つまり、我輩は城の中を一周してきた事になる。ため息と共に扉を押し開き、職務室を素通りし、寝室の中を見回す。人の姿は見えない。
 しかしベッドの周辺は綺麗に整い直され、ひと塊りに何かが置いてある。金の鎖もそちらの方を示していたので重い足取りで近寄る。

 ベッドの上に寝具に関係する物以外が乗っている光景は不愉快だが、優れた品物はその価値を境遇により貶められはしない。見ただけでも質が解るが、思わず手が伸びた。
 不純物の付着を全く許さないだろう魔法的な輝きを放つ純金の皿を持った天秤。密林の奥の奥にしか生息しておらず、採取の非常に困難を要するが、それだけの価値はあるサソリ。指先で触れると天秤は心地のいい金属音を立てて傾き、サソリはガラスのケースの中でカサカサと動いた。
 
 それと余計なものがもう一点。小さな陳腐なチョコレート。赤いハートに矢が刺さった図柄の下に、“you shoot me”と記載されている。不愉快に感じたので、懐から杖を取り出して突き“you sot”(ばか者め)と文章を書き換えた。物悲しさを感じるが口の中に頬り込んだ。味は悪くない。
 すると、我輩の左の薬指を戒めていた金の鎖が外れて床に落ちた。鎖は絨毯の毛足に埋もれ、みるみるうちに小さく縮れて消えた。


「お誕生日おめでとう。セブルス」
 鎖を複雑な心境で見下ろしていると、戸口の方から声がした。振り返ると予想通りの人物がこちらを見ていた。いつの間にか現れたはにやにやと笑いながら歩み寄ってきた。ベッドの脇に立つ我輩の横に立ち、我輩の顔を見上げる。はどことなく満足げな表情をしている。
「祝う気持ちがあるのならば、なぜこのような面倒をかける」
「楽しい冒険だったでしょ? 誕生日の日にふさわしいと思って」
「いいや、意味がわからん」スネイプがうんざりとした顔を向けるとは笑みを浮かべたので、彼はさらに顔をしかめる。「次のお前の日には……」
 今以上の面倒をかけてやる。と予告をしようとするが、それに掛ける労力がもったいないと思い直して口を閉じる。
 それを察したのかは更に目を細めた。そして、何かを主出したかのように含み笑いをする。
「そうだ……あなた、ネコには優しいのね」
「見ていたのか?」
「見てたわ。足元からね」
「……悪趣味だ」
 スネイプは目を眇める。は肩をすくめて笑った。それに目をくれずベッドの上の諸々を片づけた。我輩が丁寧な手つきで贈り物を扱う様を彼女は勝ち誇った顔で眺めていたので少し気分が悪くなる。
「疲れた」
 端的に言い、ベッドに倒れこむ。目覚めが悪かったうえに起床直後にうろうろ動きまれば当然だろう。誕生日という事はまた一つ年を取ったという事である。昨年よりも動きが鈍くなって当然なのだ。そんな日に活動するなど生物の仕組みに反している。
 気づくとは我輩の横に滑りこむように寝そべっていた。目を細めて微笑んでいる。いい気なものだ。
「今日はどうするの?」
「……とりあえず休ませろ。あとはどうでもいい」
「誕生日なんだから、もっと特別な事をしましょうよ」
「たとえば?」
 上掛けごと彼女を巻き込み眠る体勢に入る。胸元ではがもぞもぞと動いた。
「たとえば……普段とは違うところに出かけるとか」
「……任せる。もてなせ。誕生日がめでたいと言うなら、そういう気分くらい味あわせてみせろ」
 彼女は微笑みでもってそれに答えた。
 気持ちのいいシーツが肌になじみ始め、目を開けておくことが億劫になってきた。も今朝の仕掛けの為に早朝からムダな労力を割いていたようで眠そうだ。
 願わくば、この二度寝が夜まで続き、さっさと明日になればいい。























 

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Ecliptic = 黄道 = 太陽が地球の周りを一年かけて一周する軌道。
もしかしたらeclipticalの方が正しいタイトルかもしれなくて迷った。
形容詞ってなんだっけ。
こういうところで細かいアホさがばれるよね。

↓山羊 スネイプ
 水瓶 歯磨きコップ
 魚座 絵画
 牡羊 絵画
 牡牛 絵画
 双子 双子の沼から
 蟹座   金糸でカニ釣り
 獅子 グリフィンドール
 乙女 。(自称乙女)
 天秤 実験道具
 蠍座  材料に高級なサソリ(魔法薬用)
 射手 チョコの図柄


2010/7/10