FISH AND CHIPS
むかしあるところに、魔法使いの男がいた。
なぜこのような昔話調に話をはじめるかというと、昔話とは(大抵の場合)ハッピーエンドで終わるからである。童話という物はかならず「むかしあるところに」で始まり「めでたしめでたし」で終わるのだ。その間に何があっても結末は幸せなのである。
つまり、むりやり現在の状況をおとぎ話調に語ってしまえば、この最悪の状況もなんとかなるかもしれないという願望のあらわれなのである。ただし、たとえ童話でも主人公以外の人間は不幸せなまま終わることも多い。我輩は主人公にふさわしい器だろうか?
と、むりやり童話の方向に思考をめぐらせても、我輩の脳ではファンタジックな感性の高が知れている。したがって、我輩はいまだ海の底へ底へ沈みつづけている。今は頭あぶく呪文でなんとか呼吸を保っているが、これもいつまで持つか解らない。MPが底をつきそうだ(しまった、MPはどちらかといえば童話ではなくオタク系RPGの用語だった)。呪文をかけど呪文をかけど猶我が状況楽にならざりぢっと杖を見る。と文学の方に思考を修正してみても、あいかわらずファンタジー(剣と魔法と愛と友情の物語)のかけらもない。あたりまえだ。貧民の底で魔王と戦えるものか。
……しかたがない、童話的に解決することはあきらめて、冷静にこれからどうすればいいのか考えよう。事の顛末はこうだ。
ある用事の帰りに我輩が気持ちよくロンドンから右から二番目の星を目指して飛んでいたら、小型ジェット機とぶつかりそうになり墜落してしまった。どうせ地図の右ななめ下からモナコに飛んできたオイルダラー所持のものだろう。そんなに急ぐ必要はあるのか、金持ちのくせに貧乏助教授の箒をバラバラにしやがって、砂嵐で目がつぶれたついでにラクダに蹴られて死んでしまえ、あんな奴は。と呪いの言葉を繰り返してはみてもどうにもならず、重力と質量の法則に従い我輩は海へ沈んだ。(このあたりで「そうだ、童話の主人公になればいいのだ」と思ってみても事態の進展どころか後退もならず、ただぢっと手を見る)
ああ、人間の体が浮くというのは嘘だ。肺から全ての空気を押し出してしまった人間は沈む物だ。浮かぶのは死んでからだ。我輩は死を覚悟し、走馬灯はまだかと待ち構えていた。
しかし、人間の本能とはどうも生きる方向に傾いているらしい。溺れる物はワラをも掴むと昔の人はよく言ったものだ。我輩も何かを掴んだ! しかし、我輩が水に沈んでいく最中につかんだ物は、箒の尾の一房ではなく、一房の乳房だった。しかしその持ち主は、濡れたワラのような色の髪の毛を持っていたので、やはり我輩が掴もうとしたもの物はワラに違いない。古人の残した言葉とはなんと偉大な物か。
脳に酸素が行き渡らなくなった事によって意識が遠のいていくあいだ、我輩が見たものは水中に漂うワラのような色の髪の毛と、その中央に浮いている女の顔だった。
次に目を開けたときも、目に入った光景はたいして変わらなかった。我輩の顔色を窺う目と、その周りに浮いた黄色い髪の毛。
「だいじょうぶ?」
彼女は口を開いた。しかし、声がこちらに伝わるまで、一瞬の差があった。そしてなにやら周囲に違和感を感じる。最初、浮遊感を感じるのは、いまだ意識が朦朧としているせいだと思ったのだが、そうではないらしい。実際、我輩は漂っていた。水中に。ああ、頭が混乱する。
「そう見えるか?」
やっとの思いで口を開き、ガボガボという泡音を期待したものの、思いのほか普通に喋ることが出来た。
「そうは見えないわね」
彼女が笑うと、髪の毛が漂うようにゆっくり揺れる。まさにそれは水流の流れが筋として浮き出たようだった。
「あなた、溺れてたのよ」
「そうみたいだな」
そこで状況が突飛過ぎて気分が悪くなって吐いた。すると、どこからか小魚の大群が近寄ってきて、水中に広がる吐瀉物をついばみ始めた。我輩はその光景の衝撃でもう一度吐いた。彼女は我輩の背後に回ると、背中に冷たい手を置いてくれた。
彼女はという人魚で、腰から下は魚というか、蛇かウナギのようだった。長細い円錐に、すこし色気とおうとつ(凹凸という字面はマヌケすぎるので使いたくない)を足したような形をしていた。目立つ関節は特にない。足ヒレは大きく半透明で無数の筋が見える。そこは魚の尾ひれと変わらなかった。
我輩は海に沈んだところまでは記憶にあるが、そこから先は意識を放棄していたので覚えがない。
の話によると、海の底へ底へ沈んでいく我輩を発見した彼女は自宅まで運び、いそいでエラコンブを口に突っ込みあごを掴んで無理やり咀嚼運動をさせて喉へ押し込んだらしい。吐いてしまってせいでエラコンブの効果が薄れてきたらしく、彼女からもう一掴みのエラコンブを貰った。
(ちなみにエラコンブとは(陸上で生活している動物が)食べると首とアゴの境にエラが浮き出てきて、水中でも呼吸だできるようになるという不思議なコンブだ。そして水中の生き物が食べると体内に肺が出現し、酸素を吸って陸上で呼吸ができるハイコンブという物もあるらしい。またそのほかに亜種として、ジャンクフード好きのシェフの厨房の東向きの壁に浮き出てくるものとしてオーマイコンブがある。それを食べると味覚がおかしくなるという噂だ。)
「あなたが落ち着いたら陸まで連れてってあげるけど。どう? そろそろ平気そうかしら?」
「それは助かる。ありがとう」
「おみやげに死海の泥とモロッコの泥の詰め合わせのおみやげセットと玉手箱をあげるわ」
「気持ちはありがたいが、そんなものはいらない」
「あら、おみやげを持たせないで帰すなんて、そんなことは出来ないわ。玉手箱とか海の底の名産品よ」
「玉手箱は遠慮したい」
「じゃあ、大きいつづらと小さいつづらならどっちがいい?」
「……小さい方」
「銀のほうと金のほうならどっちがいい?」
「鉄のほうで」
「漆塗りと漆塗りならどっちがいい?」
結局貰った漆塗りの玉手箱はあとでこっそり捨てた。
それから、ザリガニと黄色い熱帯魚とカモメから彼女にキスをしろと強要されたり、が海の泡になりかけたり黒いタコと戦ったりと道中いろいろな、それこそファンタジックなイベントにまみれながら陸地へ連れて行ってもらった。彼女と我輩はただ運ぶべき指輪が無いだけで、「旅の仲間」といっても過言ではない。
実際にはは途中で手が離せない重要な用件(黒いタコとか)が出来てしまったらしく、ほとんど自力でとある港へたどり着いた。
水を吸って重くなったウールのローブと周囲の好奇の視線をずるずる引きずりながらたどり着いたスタンドで、我輩はフィッシュアンドチップスを買った。我輩は暖かい物と動物性の油に飢えていたのだ。幸いポケットの中には小銭が数枚残っていた。この出で立ちでは紙幣を受け取ってもらうことに多少のチップを必要としただろう。
水も滴る何とやら、というお定まりの軽口を受け流した後。熱い衣に包まれて水分のすっかり抜けた白身魚のフライを口の中で噛み砕きながら、ひさしぶりに熱い油の味を感じた。
フライを食べ終わった後も相変わらず濡れネズミな我輩は周囲の視線を独り占めしていた。しかし魚の匂いまみれたポパイのような男どもは意外と親切で、なんとかホグワーツへ無事帰り着いた。
そして数年後、我輩はと再会した。とある国へダンブルドアのお付き(というか話し相手というか。その国特産の魔法薬草を譲ってもらうという崇高な目的もあったのだが、ほとんどは観光)で参った時のこと。何があったのかは知らないが、彼女の胴から下は魚から人間へと進化していた。半漁人のくせに国王の隣にすまして鎮座している。さすがに海の中とは違い、髪の毛は下へ伸びてまとまっていた。
は我輩の顔を見ると、口の動きだけでなにやら伝えようとしていたのだが、残念なことに我輩は連日のダンブルドアの相手と長旅で疲労困憊、目はかすみ、喉は痛いとへレンケラーも真っ青の三重苦だったので、彼女が何を言わんとしていたかは図りかねた。
なにはともあれ、我輩は海から無事にホグワーツへ戻ることが出来たし、彼女は彼女で満足そうだ。
陸上で見るは海の底でみた青ざめた顔色とは違い、健康的な赤みの指した頬をしていて、髪の毛はつややかにハチミツ色の輝きを放っていた。さすが、ロイヤルな人間は手入れを怠らないらしい。
しかし我輩は、彼女の濡れた藁の色の髪の毛を忘れる事は無いだろうな。
……めでたしめでたし。
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我輩は我輩だけど〜25くらいの若我輩っぽい
HPDSの特殊主人公>人魚に霊感(インスピレーション!)を受けて
ろくでもないかんじに。
2006/4/16