翌朝

武装コルセット

 毎朝思うことだが、ベットの中で目を開けずに体を動かさずに起床することはできないものなのだろうか。たぶん無理だ。言葉に矛盾がしょうじてしまうしな。問題はそこではないだろうが。
 そして律儀にも、隣で寝ているに「できればもう起きた方がいい時刻」だという事を明確に告げてやる。しかし人の親切と自分の睡眠を天秤にかけて惰眠の方向へ傾かせるこの女は、かすかにうめいただけでうっとうしげに寝返りを打った。人様に背を向けるとはなにごとだ、という意味ではないが、確かな憤りを感じて我輩は一人で床を抜けた。
 しかし、この理不尽な思考を持っているは、自分がぐうたらに惰眠を貪った末の寝坊も我輩のせいにしかねない。いま彼女を起こすという苦労を後回しにして、のちに身に覚えのない罵声を浴びせられる事を選ぶか、それともいま行動するか。それが問題である。(to do or not to do. that is the question)しまった。朝から無駄に機智を脳から垂れ流してしまった。
 そう考えると、我輩が現在無駄に思考しているのも、昨夜に彼女を部屋に帰す努力を怠ったからである。こうやって苦労は後に後にとバケツリレーのようにたらい回しにされていくのである。人生とはまことに選択の連続だ。そして、人生に正解はないのだから、つねに間違っているといえる。しかし我ながら「良いことを言っているぞ」と思っているときは、大抵ろくでもないことを言っているものなので、別にそんなに間違ってはいないのかもしれなくもない。

 そんなこんなで朝から我輩が活発にシナプスとニューロンを働かせて時間を無駄に浪費していた結果、はどうやら目を覚ましたようだ。髪の毛が激しく縺れている。彼女はかすれた声で「おはよう」とどこも見ずに発した後、もぞもぞと床から抜け出した。しかし足半分はシーツと掛け布団に挟まれて暖を取っている状態である。
 が手を伸ばした、ベットの足元にぞんざいに置かれている荷物は、先日のホグワーツ生徒制作新聞タブロイド版の記事「飛行する謎のビン、スネイプの寝室に消える事件。頭を打った生徒の証言 スネイプの嫌がらせか、あやしい実験か」からの学習だと思われる。大いに学習してくれたまえよ、我輩の名誉の犠牲にして。

 は着替えを取り出し、順序良く身に付けてはいるが、やはりほとんど脳は寝ているのかもしれない。動きが止まったり再開したりその繰り返しだ。我輩が洗面所から帰りシャツを着ようと袖を通した後も、まだ半分ベットの中にいた。
 彼女も一応は教師なのだから、そのあたりの人間よりは脳に知識を溜め込んでいると思う。そのなめらかに回転するように理論を組み立てる脳細胞が、睡眠直後だというだけで簡単に動作に支障をきたすのがおかしくてたまらない。
 そしてさらによく見ると彼女はシャツの閉じられた方を腹側に、ボタンの列を背中の上に乗せていた。袖に通した両腕を、だらりと投げ出している。

「なんだおまえ、後ろ前に着てるのか?」
 の首の裏に手を置くと、喉がなる音まで聞こえるような気がする。それほど朝の空気とベットのシーツはくつろいだ熱を持っていた。
「うん?」
「背中にボタンがならんでる」
「これ、後ろボタンなの」
 振り返りもせずに面倒そうに間延びした声で答えたは少し間を置いて、頭上の我が輩の顔を見上げて先ほどとはうってかわった媚びた顔で笑った。
「ねえ、ちょっと、ボタン止めてくれる?」
「いままではどうやって着てたんだ、これ」
 怪訝な顔で当然の疑問を投げかけると、あいかわらずのんびりとした声で彼女は答えた。
「自分でやって出来ないことはないんだけど、なるべくなら避けて通りたいのよね」
「まわりくどいな」
「それぐらいめんどくさいの」
「そうか」

 同意を示すようにの背後に腰を下ろすと、彼女は髪の毛が背中にかからないように、首の後ろに髪を持ち上げていた。そこはさきほど我輩が手を置いた場所で、そこにまだての熱は残っているのだろうかと考えたが、ばかばかしいので鼻でかるく笑うと、は控えめに振り返った。「服がよじれる」と彼女の頭を手のひらで掴んで前に向けさせると、肩をすくめて笑ったのでさらに服に皺が寄った。
 腰あたりから等間隔に並んでいる小さなボタンを、ひとつひとつ切れ目に通していく。まあ、それなりになかなか、悪い作業ではない。
 ちょうど首の後ろまで止め終わり服の皺を正すと、は後ろにのけぞり背中を倒して我が輩の肩に後頭部を乗せ、「ありがとう」と笑った。
 そのまま立ち上がろうとする彼女を制し、体を回して我が輩に対して正面を向かせる。掛け布団から引きずり出された素足が不満そうに覗いた。

「どうしたの?」
「我が輩のシャツも後ろボタンなんだが」
「あなた、背中側に顔と腕がついてるの?」
「いかにも」
「オーケーぼうや。そのまま私に背中向けてなさい」
「我輩は大人だ」
 は空気を押し出すように断続的に笑うと、一番下のボタンに手をかけた。我が輩の背に並んでいるボタンは彼女の物よりも細かく数が多い。見下ろしているの顔が、ボタンが進むたびに上を向く。そして視線が合うと、楽しげに笑ってみせた。丁寧に首の一番上の喉仏のすぐ下のボタンまで閉じると、下から上までもう一度眺め満足げに笑ってベットから抜け出した。
 洗面所へ行く彼女の背中に並んだボタンが見える。それがドアの向こう側へ消えたのを待って、シーツの皺を正そうと立ち上がった。



 
















2005/5/29