さよなら青い鳥 4
思い出すのは雪が積もり始めたころのこと。
「いいか、生きていく上での秘訣をお前に教えてやろう」
その日は晴れていて、冬特有の弱い黄色い太陽が真上に上がり、真冬用の分厚いコートを着て歩くと少し暑いくらいの陽気だった。
まだ彼の精神が正常だったころ、我輩は彼の身の回りのものをゴミ捨て場から拾ってくる手伝いをよくしていた。彼に言わせれば、そこらじゅうにいろんな使えるものが落ちているんだそうで、世の中の人間はみんな物の価値を解っていないそうだ。
彼が我輩に聞かせたがった名言は大抵難解で、コギトがどうの、デカルトがどうのとかいうこねくり回された言葉の哲学が大半だったが、たまに言うシンプルな言葉のほうがより重みがあったように今では思える。
「見つけたものは、拾うべきだ」
それは来るべくしてお前のもとに転がり込んできたんだ、と言って彼は公営のゴミ捨て場から、何か光る小さなものを引っ張り出してた。ほら、悪いもんじゃないだろう?彼は我輩の鼻先へ戦利品(1ポンド硬貨)を見せつけた。これは明日の朝にはゴミ処理場にもってかれちまう。うっかりな。だから、今のうちに拾うんだ、と何本か歯の抜けた口を横に広げてニッと笑った。
「そして、拾ったものは離さないこと」
我輩は彼に習って足下に転がっていた小さなガラスの欠片を拾い上げた。そのガラスは沢山のものとぶつかり合ったのだろう。表面に細かな傷が沢山ついていて、透明と言うよりは曇りガラスのようだった。
そのガラス片を太陽に透かして見上げていると、彼は「悪くない」と言った。そして笑った。我輩もつられて笑ったような気がする。
「見つけたものは、拾うべきだ。そして拾ったものは離さないこと」
結局、これが彼から聞いた言葉の中で、一番印象に残っていたものだ。
どうして今まで忘れていたのだろう。
は我輩を見上げて微笑んでいる。彼女の指はまだ我輩の手に触れている。こういうときにどんな顔をすればいいのか、誰も教えてはくれなかった。
我輩は何も見たくなくて目を閉じた。しかしおそらく、我輩の顔の筋肉がまだ生きていたら、笑った。声は出さずにほほえんだ。目を閉じているのでの顔を見ることが出来ないが、たぶん彼女もほほえみ返してくれていると思う。
「悪くない」という彼の声が頭の中で響いていた。それは彼の口癖だった。悪くない。
それからの数日、そして今。我輩とは、彼女の言うところ「仲良く」している。
この空気感と行為を的確に言葉で表現することは難しい。我輩は詩人でもなければ小説家でもない。酷い文字を解読しながら評価を下すだけのただの教師だ。しかし、が「仲良く」と言うのだからそういうことなのだろう。
もちろん言うまでもないが、教師と生徒という間柄の範疇の中でだ。しかし友人とも、それ以上とも言いようがない奇妙な間柄ではある。しかし、わざわざ関係を言葉にして認識する意味があるとは思えない。
あいかわらずはうまく眠ることができないし、我輩の部屋に青い片翼は存在しているままである。しかしその他の幻覚は消えうせた。これは喜ぶべきことだろう。原因もわからぬままに物事は片付いてしまった。「青い片翼」というメタファーはいまだ消えていないが、それもそのうち消えていくだろうと予想する。予想というよりは、希望なのだが。
我々は異常なわけではない。我々だけが異常なわけではない。人間少なかれ誰でも歪んだところを持っているのだ。ストレスをまったく感じずに日々を生活している人間がいるか? たぶん、そんな人間は一人もいないのだ。だれも資格をもっていないように。
我々は身体が偶然それを自覚してしまい、実際に目に見える症状が出てしまっただけだ。我々とその他の正常な人間達との違いは、気づくか気づかないかだけの問題なのだ。
問題に気づいたら解決しなくてはならない。選択肢に気づいたら選ばなくてはいけない。気づかなければそのまま過ごすことが出来たものを。とても面倒だ。
ひとつの問題が解決すれば次の問題がやってくる。ひとつ選択をして前へすすんでも、もうひとつの選択が迫るばかりだ。結局終わりなどない。自己を持った人間として生活している上では選択も問題からも避けられないことなのだ。人生は選択の連続だと言っていたが、そのとおりだ。(我輩の母「主婦は洗濯の連続だ」と冗談めかしていっていたが、人生とは結局、瞬間の連続であり、連続の連続なのである)
教会裏の彼はそのすべてが面倒になって逃避した。しかし我輩は彼のようには逃避しないだろう。
疲れてしてしまうには、我輩の人生はまだ先が長すぎる。それに気づけただけでも、今回の出来事は……悪くなかったと言えよう。
2004/11/10