セイレーンと昼食を
我がホグワーツはイギリスににあるが、魔法学校はヨーロッパにも数校あり、さらには世界中に点在している。
しかし各校の授業内容は違いがあり、アラビアの学校では空飛ぶ絨毯を織る授業が行われているというし、日本の学校では食事の変わりにカスミが出るらしい(霧で腹がふくれるとは化け物だ)。
それぞれお国柄があるので、各地の方言やスペルの違いなどを歴史にからめて研究する学者もいる。
特色程度なら問題は無いが、国ごとに魔法使いの基本レベルに著しい差があっては困る。ということで、数年に一度全世界の魔法学校の教員が集まって、どれほどのレベルの授業をしているか。魔法基礎学校ではどれほどの範囲まで教えるのかという事を報告しあい議論するのだ。
そして危惧するべき事は、その大会議の開催地は毎回違という事。
特色で済めば問題が無いのは授業も世界基礎魔法教育会議大会も同じだ。開催地がインドだった年はガンジス川で沐浴をさせられ、フィンランドでは氷のドームでの会議のあとサウナ(枝葉で叩かれたりもした。変態といえばドイツだと思っていたが認識を改めなくてはいけない)。そのドイツでは朝からビールとソーセージという具合だ。
それぞれお国自慢に必死なので、今では嫌がらせに近い物がある。
もしこの先イギリスで議論大会を行わざるを得ない事になったら、テムズ川での水泳大会を予定に加えたいと思うくらいである。(ちなみに我輩はホスト国の責任として上空から溺れる者どもへ藁を投げてやる予定だ)
そして肝心の議論は“世界の足並みよりも我が校の充実”という腹の底の合言葉により、他校を出し抜こうとする腹の探り合い、キツネとタヌキの化かし合い、ウマとシカの馬鹿試合なのである。
そんな大会であるから、本来は学校長、またはそれに順ずる者が参加するべき大会なのだが、誰もそんな集まりに進んで出たがる奴はいない。学長副長がのらりくらりと不参加を決めるのはどこの学校でも同じらしく、顔ぶれは毎年それなりにひねくれた顔が並ぶのである。つまり、嫌な役目は嫌な奴に押し付けられるのだ。
もちろんダンブルドアが参加したがらないのも当然で、老体は長旅にむかないと言うし、マクゴナガルは新学期への準備や調整で忙しいと言う。我輩よりも序列が上の教師どもからも、なんだかんだではぐらかされてしまった。
そのような事の運びで、学園中の嫌われ者である我輩に、この面倒で誰からも嫌われていてほぼ無意味な仕事が任されたのだ。
普段から自覚していた事だが、我輩の嫌われ具合は相当な物で、老若男女に嫌われる。古今東西どこでも嫌われる。有象無象にとにかく嫌われる。ヒトでもモノでもdont来い。というようなありさまである。だからある意味、この嫌われている仕事は我輩に向いていると言えよう。
そんなひねくれた者達が、ひねくれた本心の元、ひねくれた議論(まさに「ひねくれ者の、ひねくれ者による、ひねくれ者のための議論」である)をするのだから、場の空気は最悪と言ってもいい。参加者全員の眉間の皺を重ねていったら、マリアナ海溝よりも深い溝ができるのではないかと我輩は密かに疑っている。
(毎回の会議で唯一の楽しみといえば、我輩と同じくひねくれ者として意気投合していたチェーザレに会える事だっただが、今回の会議には不参加だった。彼の代わりにバチカンの地下にあるイタリア国立魔法学校から来ていた者にそれとなく聞いてみると、薬学教師であるチェーザレは生徒を使って違法薬の人体実験をしたという罪で、学校及び教育の場から追放されたと聞いた)
今年は運良くアメリカはニューヨークが開催地だったので、少なくとも屋根のある場所で過ごせる分まだマシな方だろう。荒野のネイティブアメリカンの集落などではなく本当によかった。
会議などはすべて現代的最先端ビジネスマグル式に行うらしい。表向きは「近代マグルと共生する我々」がテーマなのだが、本心はマグル的振る舞いに悪戦苦闘する各校の代表をせせら笑うのが目的だろう。ご丁寧に航空機のチケットまで郵送してくるあたり意地が悪い。「歴史の浅いアメリカ魔術・知恵は先住民から奪った物」と言われ続けた彼らのせめてもの反抗なんだな、と我輩は我輩らしくひねくれた見方をしている。
まあ、たまには、学園を離れるのも気分転換になり悪くないだろう。と思ったのもつかの間で、例のごとくは自分も同行すると言い出した。開催地決定前は「双脚羊はおいしいかしらね」とか「スーシトレンミングをお土産に買ってきて」などとさんざん面白がっていたのに、開催地が決まった途端に「後学のために」同行すると言い出すとはまったく彼女らしい。
「おまえの仕事はない」と提案を却下したにもかかわらず、仕事に私情をはさむ事に大賛成な学園長が「補佐兼、秘書兼、監督」という役目を捏造した。
そしては晴れて同行を許されたので、我輩は遺憾兼、困惑兼、迷惑の意を感じている。
まあ、苦行の道連れが出来たと思えば。と若干よろこびもしたが、「会議室のイスは丸いテーブルの面積に対して完璧なバランスで、芸術的かつ人間工学的に最高の配置をしている。これ以上の要求があるのなら、弁護士を通して法廷で話し合おう」とアメリカ人のくせに美を語る若手建築家がイスを(たった)1つ増やす事を拒否し、イギリス人が円卓に加わる事に反対した。
物欲のない善人の三女のように、ワシントンの道端で石を投じ、最初に当たった弁護士を雇うべきだろうか。しかし、野獣の嫁に抜擢されてはかなわないので、結局我輩は一人で会議に臨むこととなった。
つまり我輩が各校の腹の探り合いに神経をすり減らしている間、彼女は限度額をいっぱいに引き上げたクレジットカードと共に、ニューヨークの街中を散策しているというわけだ。
マグル的なホテルの空調は快適な温度を保つべく、始終かわいた風を出している。耳障りなその低い音にも慣れた。
日に日に積み重なっていくブランド物の紙袋があふれ出てきそうなクローゼットから、なんとかネクタイを救出し首に巻く。このムダに細身で動きにくいデザイナーズスーツ(マグル的生活の為の支給品)に袖を通すのがこれで最後となると、なかなか名残惜しい。
連日続いた会議も今日で終わりを迎え、午前中にまとめとしての話し合いが一つと、夜にささやかなパーティーが残るのみだ。
そんな事を考えながらネクタイの結び目を整えていると、ようやく眠りから半分覚めかけたがベットから上体を起こした。
「おはよう」
彼女のかすれた声に見向きもせずにわざとらしく明朗かつ非難を込めた声で返すと、いつのまにか背後にいたと鏡の中で目が合った。
「良い身分だな。堕落しきったところがアメリカ人そっくりだ。もうイギリスの血を踏む資格は無いと思え」
「あなたこそ……ニューヨークに染まって。朝っぱらから卑猥ね」
「……卑猥とは?」
の言葉尻を捉えてたついでに彼女の腰も捉えて向き合うと、彼女は声を立てずに笑って人差し指と中指で歩くようにネクタイをなぞった。
「フロイト的に言えば、ネクタイって男性の象徴らしいわね」
「いつもそんな事を考えているのか」
「わりとね」
ネクタイを掴んで我輩の顔を引き寄せようと目を閉じるのあごを掴んで押し止める。
「残念だが」
彼女は演技過剰に片目を開けて訝しげな視線を投げた。
「我輩、身支度を整えた後は、だらしのない女は相手にしない事にしている」
は我輩を突き飛ばす仕草を見せる。それに合わせて大げさによろめいて見せると、彼女は不服そうな目でこちらを見あげていた。
「それなりの釣り合いは必要だろう?」
追い討ちを掛けると、の目はより鋭い物になる。
「私だって、頭の固い男に用はないわよ」
不機嫌になったは二度寝を貪り、我輩は部屋を後にした。顔に残る笑みと共に。
午前中の話し合いも和やかに済み、昼食の休憩を取ろうと皆が席を立った頃、ビルの案内係が靴音のうるさい客を連れてきた。我輩も皆と同じく眉をひそめてその音の行方に注目していたが、我輩ほど嫌な予感が点滅していた者はいないだろう。
は大理石の床にまで刺さりそうなほど細く高いヒールの靴を履き、毛足の長い皮のコートに身を包み、過剰に艶のある毛先を弄び、油分を含んだ化粧品でコーティングされた唇で微笑んだ。
「ハロー、セブルス。お仕事は終わったかしら?」
昼間の会議室に場違いな女の登場に眉根を寄せる各国の教師達の表情を無視して、我輩はを部屋から無言で連れ出した。
ビルの近くにあったコーヒーショップでもは注目を集めていた。
今の状態の彼女が馴染めるとしたら、モナコの夜か、場末のステージぐらいのものだ。その視線に耐え切れなかったのは我輩のほうで、この寒い中に屋外に出るはめになってしまった。なぜなら、コートを脱いだ彼女はさらに過激な布きれを身に纏っていそうな気配がしたからだ。
「塗りたくる事が必要なんじゃない、釣り合いが必要だと言ったんだ」と非難しても彼女はどこ吹く風で、楽しそうにも見える。ビルの谷間にはお定まりの、緑の芝生(今は薄い雪景色だが)の小さな広場のベンチを見つけ、そこに座ろうと我輩に促がすだけだ。
いかにも再生紙を使っていて自然に優しいのだと全身で主張している茶色の紙袋から温かい紙カップを取り出し、に手渡す。彼女はカップのプラスチックの蓋を外し、紅茶の水面を吹いて顔を温めた。
「あなたイギリス人のくせに、イタリアンなのね」我輩の小ぶりなカップを横目で眺め、かるく鼻を鳴らして強い匂いの元を確認したは、やや批判めいた目で我輩を見た。「イギリス人なら、誇りを持って紅茶を選ぶべきだわ」
エスプレッソのダブルに砂糖を沈めて一口でカップの半分以上を飲んでしまう。苦味が舌を刺し、熱が喉を焼く。そして底に残ったざらついた砂糖の感触が残る泥のような甘い液体を舌の上に乗せて、苦味と甘味の混ざり合った奇妙な味が舌の上に残って不快だ。
「アメリカ人が作った紅茶なんか飲めるものか」
「またそんなわかんないこと言って」
は乾いた息で笑うと、紙袋からビニールパックされたマカロンを取り出して齧った。クリームが寒さで凍る寸前まで硬くなっていて、彼女は前歯と舌を駆使してそれと戦っていた。
「我輩、全ての人種宗教職種に対して偏見を持っているからな」
「あるいみ平等よね」
「まあな」
雪の残る真冬の街中では誰もがコートとマフラーで武装していて、攻撃的な足音を立てて急いでいた。道に敷かれたタイルにかかとが打ちつけられる音が1/F揺らぎのペースで耳に届いている。
この地面のタイルが、何百何千足ものグッチのローファーやらエルメスのパンプスのかかとを削り取っているのかと思うと詩的的というか、経済哲学的な気分に陥りそうだ。1足600ポンドとして、かかとのゴムの値段が70ポンドくらいか? つまり道路のタイル1枚を1日何人が踏んでいるのか考えてみれば1タイルに付属する靴の価値を含めたタイルの金銭的推定価値が解るのかと思ったところでところで、その細かい計算をする自分の心根が悲しくなった。そもそも磨り減ったかかとなどそこらへんのスーパーマーケットの片隅で7ポンドでできるのだから、タイルにこびりついたゴムの価値など微々たる物だろう。
黙っている我輩を訝しんで見ているに「靴音を聞いているんだ」と答えたら、更に変な顔をされた。
彼女は「体が冷えてきたわね」と独り言のように呟いて、冷たいマカロンのかけらを口に放り込んだ。人々の視線よりも冷たい北風に耐えられない我輩はその意見に従った。
そしてサラブライトマンとエンヤを崇拝していて肌に触れる物はすべてコットン、野菜以外はすべて毒だと信じている人達が集まるカフェで昼食を取った。
ウサギのエサのようなサラダ(厳選された原料、1000パーセントオーガニック)と味の薄いパスタ(小麦粉製品と見せかけて実は細切りのキャベツの芯)とタンポポコーヒー(カフェインレスの味の無いぬるま湯)を胃に入れて店を後にする。
その後はリッツのティールームで野菜のランチコースより値段も満足度も高い紅茶を飲んだ。
ティールームから直接敷地外へ出られる扉をくぐると、通称「家の無い人」が「あなたの大切な人へバラの花はいかが? 1本1ドルだよ!」と叫んでいた。
彼は今まさにドアマンから追っ払われる最中だったが、我々の姿を見ると商売魂に火がついた様子で、ひざまずく勢いで精一杯あわれっぽい仕草で花カゴを突き出した。
普段ならば通称「世間からドロップアウトした人」とは関わらないように、目にも止めず息を止めて無視し通り過ぎるのにかぎる。
しかしの目は密かに赤いバラの花を追いかけているくせに、無関心を装って我輩の腕を引き足早に通り過ぎようとしていた。その姿を見ると、ついポケットから10ドル札を数枚掴んでしまい、通称「ダンボールに住む人」へ突き出してしまった。彼はあっけに取られた様子で我輩を見上げたが、それも無理はない。我輩だって自分の行動に驚いた。
しかしハミルトンの顔写真の威力は彼をすぐに正気に戻した。
彼はいそいそと金を受け取ると、カゴからバラの花をすべて掴み取り我輩へ手渡した。ドアマンは肩をすくめて呆れた顔をしている。そして我輩はそれをへ突き出すように渡す。
は通称「国民としての義務と権利を放棄した人」よりもおどろいて目を見開き固まっていたが、冷たくしなびかけた花弁に指を触れたらようやく脳が生き返ったらしく、小さな声で「ありがとう」と呟いた。
そして赤くなった頬をごまかすように花で顔を隠す。その顔を見てやろうと、彼女が花束を掴んでいる手を掴むと目があった。
「だが、花こそ頭の天辺に生殖器を乗っけてるわけだから、男のネクタイより卑猥ではないか?」
彼女は肩をすくめる。
「あなたって、本当にわいせつなんだから」
は我輩のネクタイを掴み顔を寄せた。ほどよく化粧の落ちた彼女を避ける理由は今のところ見つからない。
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双脚羊=人肉(アジア圏なかつくに産)
スーシトレンミング=発酵した魚のくっさい缶詰(酢エーディッシュ)
チェーザレ=ルクレツィア・ボルジアの兄(イターリア出身)
2007/1/25