its a smell world
連日に及ぶ議論大会の結果、今後のテーマは「各国の友好と連携」に決定した。ただし、拡大する闇の勢力への対策は、主犯がイギリス出身という理由で、わが国が責任を持って対処するようにという事になった。つまり、現状維持だ。
ささやかな打ち上げのパーティーは眺めのいいレストランを貸し切った立食形式の夕食会だった。
それなりに豪勢な集まりだったので、みな一様に畏まった服装でその場に臨んでいる。もちろん彼女も。
のリトル過ぎるブラックドレスは、フェミニストの団体から目の敵にされそうなほど身体に沿っていた。シルクの光沢は体のラインどころか動作までも優美に見せ、まばたきなどSFXを駆使した映画のごとくスローモーションにさえ見えた。しかし彼女のまぶたにはナイロンのマツゲが接着されていたので、そのせいでまぶたが重いのかもしれない。ドレスは過度に派手ではないが、高級そうな輝きを密かに発している。薄い布は裂いたらさぞ良い音を立てそうだ。
女性はだけではなかったが、前述したようにここは嫌われ者の集まる場なのだ。桃の腐ったような老婆や、鳥の骨のような女ばかりで、彼女とは対極の位置に居る女どもだ。もちろん、脳味噌の重さで。
はそんな彼女らに清貧&貞淑シスターズと呼び名を付けて笑っていた。
ピンクのシャネル風ツイードのスーツを着た、指で触れたところから腐っていきそうな桃のような老婆はミセス清貧のようで、何十年もの間おなじ一張羅を着つづけているせいか、生地はすでに弱っている。編目のところどころからほつれ出た白い糸は産毛というよりはカビの菌糸のようだった。
神経の一本一本まで骨の上に浮き出ていそうなほど肉の無い女はミス貞淑と渾名するのに相応しく、黒ずくめの魔女らしいスーツにクモの巣をかたどったブローチをつけていた。「彼女の足元にはクモの子が落ちていそうでつい目を凝らしてしまう」と言う我が輩を、は下品だと真面目な顔で非難したが、息とともに漏れる笑いは防ぎ様がないようだった。
は、未だに女性の参政権を勝ち取る為に茶会を開いていそうな老女どもから当然のごとく攻撃を受けていた。
揶揄のこもった仰々しい言葉でドレスを誉められ、は大きく微笑み「フランスの小さなお針子に縫わせましたのよ」と返すが、その言葉は額面どおりに受け止められた。貞淑&清貧シスターズは嫌味の通じない贅沢な女だと呆れ、はで機智の無い奴等だと毒づいていた。
我輩から見ればどっちもどっちだ。
にしてみれば、パーティーというものは自分の(微々たる)美しさをかき集めて強調し、空中分解しそうな回りくどい冗談を飛ばしあう場だった。ミス貞淑&ミス清貧にとっては、日頃の自分等の清く正しい生活ぶりと他人の堕落振りを比較して悦に浸る場なのだ。
つまり、お互いの価値観の違いが滑稽なコメディを生むのだ。それを傍から楽しむ我輩は、まさに漁夫のように利を得ている。と一人腹の中で笑い、何杯目とも見当のつかないこしゃまっくれた小さなクリスタルグラスを銀の盆から取った。
そしては酔う事を恐れないといった意味では勇敢だった。もちろん他の者も。
特に楽しい会ではないので飲んだり食ったりするほかは娯楽も無く、ほどなく会場のそこかしこから「工業用アルコールでも飲んでろ、このピロシキ野郎」やら「ジャガイモ食ってろ、この田舎者」、「なにが芸術の国だ。ヘンタイばっかりのくせに」などの政治的に正しく平和的な言葉が飛び交いはじめる。
まさに今後の目標、「各国の友好と連携」に相応しいなと、我々はホールを後にした。閉会を飾る曲はオルゴールアレンジの「イッツアスモールワールド」だった。まさに我々の世界は狭く、井の中ようだ。
は部屋に戻るなり、ふらつく足で4インチスティレットヒールのパンプスを脱ぎ棄てた。靴は無残にも絨毯の上に転がり、優美な曲線は見る影もない。
そして解放されたふくらはぎを労わるように手でなでる。そして太腿からの絹の薄い靴下も脱ぎ去る。
踵を持ち上げていないリラックスした足にシルクのドレスが乗っかっているのは不自然だったが、素足に触れる絹も悪くは無いだろう。
彼女は耳にぶら下がっていた飾りも取り外す。その腕の動きで肩甲骨が盛り上がり、くぼみが出来る。
背中のくぼみに指を当てる。は喉をのけぞらせ、いつのまにか背後に居た我輩を見上げて笑った。
「床の上で脱ぎ始めるなど、礼儀のなってない女だ」
彼女の後頭部と我輩の顎が触れる。
「じゃあ、どこならいいの?」
「自分で考えろ」
「どこかしら」とはあけすけに欲求をあらわにベッドへ視線を配る。ところが目を留まった物はシーツとシーツの間の空間ではなく、ベッドサイドのチェストの上に置かれた小箱だった。たぶん、会議大会が無事に終了した事を記念をした、心ばかりの品物として置かれているのだろう。
「あれは?」
「さあ、知らんな」
「開けてみて」
パーティの武装を解くことに忙しいは、顎で小箱を示す。
やれやれと心の中で呟きながら首もとのタイを緩めてベットへ向かい、彼女の知的好奇心を満たす為に小箱を拾い上げた。
良質そうな厚紙で出来た立方体の箱は冷たく冷やされていて、濃い赤色のサテンのリボンが掛けてあった。リボンをほどき箱を開けてみると、底には濃い茶色の粒が仰々しく鎮座していた。
一目見て、それを何物だか判別した我輩は、複雑な構造の首飾りを取り去りながら横目で箱の中身を窺っているに差し出す。
「チョコのくせに、こんな箱に入って生意気だわ」
一粒摘み上げ、がおもしろくなさそうな顔をする。
「見栄っ張りの連中が選んだ品だ。その箱に入るだけの価値はあるんだろう」
「食べていいかしら?」
「好きにしろ」我輩は片目を細め、過去の文字通り苦々しい記憶をたどる。「我輩、味に保証のあるもの意外口にしない事にしている。毒見しろ」
は目を細めて笑う。
「美味しかったら、甘いって言うわ」
はチョコレートを口に放り込んだ。口のなかのものを噛み締めると、口の端からチョコレートの欠片が覗く。それを指で拭おうとするの腕を、思考よりも早い手が掴んで制した。彼女が舌を出して口元を舐めようとするので、その舌も捕らえるように舌で絡め取った。かすかな甘味を感じて眉をひそめる。は口元を緩め、口角を上げた。
彼女が両手を我輩の背中に回す素振りを見せたので、の腕を掴んでいた手を離し、腰に置く。手のひらに触れる絹の感触が気持ちが良い。腰から背中に登るように手を這わすと彼女が身を捩った。我輩の体との間でドレスが衣擦れの音をわずかに立てる。
頭を離そうとするの顔を両手で挟み、もう一度だけ執着してから解放した。
自由になるなり俯き加減で息を吐く彼女の顔を一度上げさせる。
「随分、行儀の悪い食べ方だったな」
心持ち顎を上げて見下すように見下ろすと、は口を尖らせて抗議めいた声音で言葉を出す。
「リキュール入りのチョコなんて、酔う為にあるのよ」
「楽しんだか?」
「甘かったわ」
「知ってるさ」
は艶然と微笑むと、2個めのチョコレートをつまみ、今度は我輩の口に押しつける。口を開かずに彼女を見下ろしていると、焦れたようにの舌が絡んだ。彼女が指を離したので、指の熱で融けかけたチョコレートは彼女の胸元に当たりそのまま床へ落ちた。顔を離して見下ろすと、の鎖骨の少し下のあたりにはチョコレートの名残が残っていた。舌で舐め取るように皮膚に唇をあてる。は我輩の首元へ腕を滑らせ、襟元の生地を掴んだ。
役目を終えたチョコレートは絨毯の上で物悲しく砕けて融けけていくのだろう、と目の端でそ捉え、思わず口を笑みの形に歪めるが、もうそれに注意を払う必要はなかった。
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2007/6/27