喪服のボンドガール

 ドアを叩く音が聞こえた。
 対応すら面倒で寝床の中でぼんやり身じろいでいると、見慣れない天井の柄が目に移った。しかし、すぐに思い直す。昨日も見た天井だ。今朝も昨日と同じ天井だ。あわてる事はない。
 まだ移り住んで数週間しか経っていない部屋の天井に、未だに慣れることができない。塔が変わるだけで、こんなに印象が違う物なのか。少し前までは学生寮にいた。しかし今では、教師用にあてがわれた部屋で寝泊りしている。自分は、あと1ヶ月もすれば教師になるのだ。もちろん最初は助手であるけど、教わる立場から教える立場になったことに変わりはない。これは些細だか、非常に重要な変化だ。

 ほうっておいた間も何度か鳴っている骨と木のぶつかる乾いた音(コンコン)を無視し続けようとまた目を閉じたが、次第に控えめどころか激しいビート(ココココココココココココ……)を刻み始めたので、仕方なくローブを羽織った。まったく、今は何時だ。
 ぶしつけな訪問をするような者だから、どうせ常識外の時間にやってきたのだろうと不機嫌な顔でドアを開けると、思いのほか世界は明るく輝いていた。目がくらんだ。
 まぶしさに慣れたころ、そういえば、昨夜の就寝時間はすでに今朝だったという事を思い出す。できるだけ暗くなるようにと、部屋のすべてのカーテンを閉めきって、ついでに都合のいい魔法までかけておいたので世間の起床時間にだいぶ遅れてしまっていたようだ。何時間寝ることができていたのだろうか。

 その明るい社会を照らすはずの光の中で、は立っていた。彼女も卒業後はホグワーツに助手として残ることが決まっている。平たく言うと、つまりお互いに同じ立場なのだ。
 彼女は黒い黒いあっさりとしたワンピースを着ていた。まるで喪服に見える。手には白い花束まで持っている。丸々と太ったチューリップが数本束になって、黒いリボンで結わえられた立派な花束だった。まるで葬式だ。
 不機嫌な顔を用意してドアを開けてしまったので、もつられてほほえみを消し、表情のない顔で固まっていた。タイミングを逃すと、簡単に口を開けない面倒な性格なのだ。お互いに。

「ベットの上に自分の体を忘れてきてはないだろうな」と独り言のようにつぶやくと、ようやくは笑った。どうしようもなくつまらないんだけど、お情けで笑ってやった。というような笑い方だった。音で言うと、フフフとへへへの中間くらいに位置する息だけの笑みだ。目は細めずにそのままで。……べつに彼女を喜ばそうと思ったわけではなので、がっかりなどしない。起きぬけの頭でウィットにとんだ会話をできるほうが化け物だ。

「死んだら骨は拾ってあげるわよ」
「死んだら骨も残らんさ」
「俺の屍をこえていけ」
「それは対立している同士が言い合う言葉だと思うが」
「そうだっけ?」
「さあ、あんまり信用しないほうがいい」

 無責任に会話を締めると、は笑って、花束で俺の顔を軽くはたいた。ただひんやりと分厚い花弁が頬を擦った。目の前が白い花に縁取られ、視界から掃けた花の切れ目からが見える。彼女は髪の毛すら瘤のように硬くまとめていて、それが禁欲の塊のように見える。

「私を愛したダブルスパイだもんね、あなた」
「ロシアから愛を込めてな」

 二人で同時にくつくつと笑うと、大分頭がはっきりとしてきた。そうだ昨日、ゲイツ夫妻が死んだんだ。まったく、不謹慎な朝の過ごし方をしてしまった。
 しかし、最近は死と葬式が身近になりすぎてしまって、あまり感慨もない。ほとんど毎日が葬式なのだ。これでは死に慣れてしまうのも、棺桶屋に転職する者が増えるのもしかたがない。
 ヴォルデモートの活動が活発になり、優秀で、ついでに勇敢で正義感溢れる魔法使い達は日に日に少なくなっていった。世界的に有名な古英語学者で古呪文学者でもあり、世界一長いファーストネームという事でギネズブックにも認定されているケントムクミムカミメイリンニュークラウンエイゴキョウカショが死んだのは記憶に新しい。昨日はウォルト氏が殺されたし、その前の晩はディズニーニ夫人が行方を眩ました。噂では、ダークサイドに落ちたらしい。
 誰も彼もがヴォルデモートを警戒していたが、幸いホグワーツは強固なセキュリティを築いていたので、生徒達は安心して眠る事ができるはずである。しかし実際は、自宅に居る家族を昼も夜も心配しているようだ。

「それで? おまえは葬式に行くほど、彼らと仲が良かったのか?」

 は首を横に振る。我輩は眉をひそめる。

「今日はね、スネイプ。私達のお葬式をするのよ」
 は嬉々とした表情を隠して、陰鬱とした雰囲気を演出したかったらしいが、口の端の笑みが隠し切れずに持ち上がっていた。
「それは知らなかった。まるでビートルジュースだな」
「バカね。いいから早く着替えて、付いてきなさいよ」

 は当然のように部屋に入り、ベットの上に自然に腰掛けた。もしかしたら、部屋の主よりもここに慣れているのかもしれない。なんとなく釈然としない気分で着替えを済ませた。が黒い物を着ろというので前向きの方向に善処したら、灰色と黒と深緑という制服のような色合いになってしまった。せっかく卒業したのに。
 あいかわらずはベットの上でくつろいでいた。彼女の次の行動を見守ろうと思ったが、そこで朝から何も食べていない事に気が付いた。そういえば、そこはかとなく胃がさみしい。

、何をしたいのか知らないが、とりあえず俺は厨房へ行く」
「ああ、うん、かまわないわよ。私もフィルチさんの所に行って借りたいものがあるの」

「何を借りるんだ?」と形式的に聞いてみると、「シャベル」という答えが返ってきた。「シャベル?」どんな?「小さいやつでいいのよ。幼稚園児が砂場で使うようなやつ」鉄製で、メルヘンなピンクとか黄色とかのペンキを塗られたシャベルが頭に浮かんだ。柄の部分に穴が開いてて、そこから砂とか土が入り込んでカラカラ音がなるやつ。なるほどな「おまえ、ようやく自分の身の丈に合うものを選べるようになったんだな」「うるさいわね(は笑った)埋めるのは小さい穴でいいのよ」葬式だからな、葬式といえば埋めるんだろうな。でも「埋める死体がないじゃないか」
 は意味ありげに笑い、楽しそうに言った。
「アイーダみたいに埋まるのもステキだけどね。今日は私達の青春を埋めるのよ」


 あまりの意味の解らなさ具合に、脳が凍結してしまった。……青春を埋める? はカミュとか中原中也とかの耽美系発言に倒錯しているので、普段からエキセントリックな発言が多かったが、ここまで理解不能な言動もめずらしい。あのあたりの耽美系詩人は、常人に意味のわかる程度で言葉をこねくり回すのがギリギリ売れつつも崇拝されるラインだと常々思っていた。が、しかし大事なのは客観的に傍観している状態が大事だという事に気が付いた。たぶん、我輩はどんな詩人とも仲良くできない自信がある。意味を探らなくては会話が成立しないなど、面倒でしかたがない。

「青春ていうものは、ベットのスプリングに絡んでるんだ」
 できるだけ詩的に表現してみたものの、つまり、即物的な事しか認めない俺なのだ。との肩を突き飛ばした。おもいのほか無抵抗だったので、彼女の上体はそのままベット倒れた。は下からこっちを見上げている。その目は笑っていたが、すこし呆れていた。腹もすいていたので、無言で彼女の腕を掴んで引き起こした。
 意味のないことばかりしてしまうのは、空腹で脳に糖分がまわってないからだ。と言い訳じみた動機付けをして自分を慰めてみるが、彼女の硬くまとめられた髪が少しほつれたので、それだけで意味のある行動に思えた。
 しかし、青春の葬式の意味がいまだにわからない。



 はフィルチの所へ、俺は厨房へ。老婆は川へ老爺は山へ。
 静まり返った学園内を一人で歩いていると、まるで知らない場所を歩いているような気分になる。雰囲気が違いすぎるのだ。
 今は学年と学年の区切りの時期なので、生徒は皆それぞれ家に帰っている。教師連中も、年に二度三度しかない帰省の時期を逃すわけもなく、学園は実に閑散としていた。
 つい最近まで生徒だった我々がこの時期に学園内に残っていることは初めてなので、いつもと違いすぎる空気に戸惑いもしたが、慣れればなかなか快適である。
 忠実なハウスエルフから朝食兼昼食のローストビーフサンドイッチとサイダーを二組受け取り、待ち合わせの場所の学園の裏庭に急いだ。


  学園の裏庭から森の境目に、なにもない野原が広がっている。はそこを墓場に決めていたらしい。彼女は早々とサイダーの栓をあけ、ビンにストローを挿して歩きながら飲んでいた。8月も下旬の草原は青々としていて、芸術的な感性をまったく持っていない自分にも、地面を掘り返す事に少し罪悪感を感じた。

「それで、青春の葬式の意味がわからないのだが、説明してはもらえないのか?」

 腰をおろしてサンドイッチの包みをほどき、足に登るテントウムシを指で弾きながら訊ねると、黙々と齧っていたパンをゆっくり飲み下してからは答えた。

「私達、卒業して学園で働く事になったじゃない」
「そうだな」
「いままでと同じ場所に居つづけるわけじゃない」
「そうだな」
「なにか、ケジメとキッカケが必要だと思うのよ」
「……なるほどな」

 つまりこれは、我々のモラトリアムなのだな。


 昼食を終えてぱらぱらと世間話をしていると、次第に会話がなくなっていった。毎日顔をつきあわせていも話題は尽きる事はないが、それでも何もない殺風景な場所でしゃべり続けるほどの根気はお互いに持ち合わせていなかった。
 ついに無言になって数分たったのち「掘ろうか」とが言った。その言葉にうなずいて、みずみずしく湿っている芝を園芸用の小さいシャベルで掘り返す。色は深緑で、ところどころ塗装のペンキが剥がれていた。シャベルの刃を地面に突き立てて掘っていったのだが、湿った土は柔らかく、穴を開けることにまったく苦労はしなかった。すくった土は穴の完成予定地のすぐ横に山になるように重ねられた。
「どれくらい掘るんだ?」
 は少し考えたにもかかわらず「二人分の青春だから、深すぎもなく浅すぎもないくらいがいいわ」と答えになっていない。つまりそれは、飽きるまでという事だ。
 二人で黙々と穴を掘る。たまにミミズが出たり石が出たり変な妖精が埋まっていたり虫が冬眠中にもかかわらずカードで対戦していたりとそれなりにイベントがあったが、作業は平和そのものだった。50cmほど掘ったころ、だいぶ山も立派になったころ、は手を止めた。たしかに、これくらいの深さがあれば立派に穴と呼んでもいいだろう。

 穴を掘ったはいいものの、埋めるきっかけを掴めずに、お互い黙って居た。それも気詰まりで、どちらから口を開こうか穴を埋めようかと二人でタイミングを探り合ってた。先にタイミングを読み取れたのは、彼女のほうだったらしい。
「何か、埋めたほうがいいのかしらね」
「犬の尻尾とか、砂糖とかか?」
「マザーグースなんて子供すぎるわ」
「どのみち、中に何を入れるかなんて、あんまり意味がないんだろ?」
 はうなずいた。

「さよなら、私の青春」
 はシャベルで土をすくい、穴へぱらぱらと落した。そして我輩にシャベルを押し付ける。一本のシャベルで交互に埋めていくのだな。このような細かい演出のひとつひとつが、意味をなしているのである。
 我々がしている事は、ただ穴を掘ってまわりくどく埋めているだけである。まったく生産性のないムダな行動だ。しかし、この行為自体に意味があるのだ。
「さらば青春の日々よ」
 まったく感情のこもっていない声で復唱し、一度に大量の土を穴に埋めると、彼女は恨みがましい目でこちらを見たので少し反省した。このバカらしく幼稚な行為を、彼女は大真面目に行っているのだ。今日は幼稚収めでバカ収めなのだ。最後の青春の日なのだ。今日だけモラトリアムなのだ。明日からは大人として生きていかなくてはいけないのだ。
 それからはおとなしく二人交互に一匙ずつ土をすくい青春を埋めていった。

「私達は死なないわよね、スネイプ」

 半分ほど穴を埋めた頃、シャベルをこっちに渡しながら彼女が呟いた。やれやれ。死は我々にとって、冗談を通り越して日常になりつつあるのだ。
「おまえも我輩も、優秀でも勇敢でもないから大丈夫なんじゃないか?」
 土を少なめに取ったのは、話が長くなる事に配慮してのことである。そのあたりに気付くほど、は大人ではないだろう。
「なによ、我輩って」
 その証拠に、彼女が目をつけるのはいつだって気付いて欲しい個所とは別のところだ。
「教師らしいだろう」
「冗談みたいに聞こえるわ」
「冗談じゃないところが、この冗談のおもしろいところなんだ」

 思いのほか話が早く終わってしまった。なかば投げやりに土を全部穴に落すと、が不満そうな顔をしたので、また土を少しすくい上げた。彼女が最後の土を穴にすべらせ、シャベルの背で軽く穴のあった位置を叩く。表面を平にならしてから花束を置いた。墓標も何もなく、花束だけが置かれている質素な墓である。その花も強風で今にも飛んでいきそうで、なんともたよりない。
 することもなくなってしまって、二人で無言で墓を眺めていた。

「それに、我輩は死んでも生き返る」

 思ったよりも強く断言したように空に響いてしまった。どうしようかと悩んでいたら、一瞬の無言ののち、「どうしてよ」とは冷たい息を吐いた。
「スパイは二度死ぬんだ」
 だから、一度死んだくらいではまったく問題はないんだ、二度目があるから。だから心配するな。と続けようとしたら、は本気で顔をひっぱたいた。まったく、今回は冗談のつもりで言ったわけではないのに。短絡的にしか物事を捉えないやつはこれだから困る。
 彼女が校舎へ足を向けてあてつけのように強く芝生を3歩歩いても、まだ痛みは引いていない。
 やっぱり、青春なんか、ゆるみきったベッドのスプリングにでも絡ませておけばいいんだ。と悪態をついてみても頬の痛みは取れるどころか、痺れを増す。しかたなくの背を追った。



























2005/10/12