セレブリティ ポイズン
今夜もラスベガスは光り輝いていた。
宝石のごとく光るネオンとLEDの洪水にまみれながらルーレットのテーブルに向かい、ディーラーの指先の動きと背骨の伸び方に見とれていたら、今夜の予算を使い切ってしまった。しかし、ディーラーの彼女へ技術を賞賛するための代償だと思えば、緑色のフェルトの上を滑って行った僕のコインへの未練は無い。
場を囲む紳士淑女は大勢いたが、彼女は僕だけを見つめていた。
十数回目のコールの後、彼女はテーブル越しに一瞬だけ両目を瞑って微笑んで見せた。彼女の唇は紅、瞳は漆黒。ルージュ・ノワール。閉じられた黒、僕は赤に全てのコインを賭けた。結果はゼロ。
ボールが緑色のマスにカタンと音を立てておさまった瞬間、彼女は今夜見た中で一番美しい微笑みを見せた。
まったく、まいるね。
上機嫌で部屋へ帰ると、世界の美しさと僕のたぐい稀な存在価値とは裏腹に、彼女は不機嫌な顔をしていた。僕を目の前にしても幸せを感じないなんて、いったいどうした事だろう。
フラミンゴホテルの最上階の最上級スウィートルームにはマゼンタロックピンク色の羽をそこかしこに敷き詰めてある。
僕が一歩動けば羽毛が舞い上がりまるで天使のごとく、だ。しかし僕は純白の天使ではない。この世とあの世とそっちの世の全ての幸福の源の僕だ、僕の羽はバラ色でなくてはいけない。
「、どうしたんだい」
は赤い下着だけを付けて、天蓋付きの豪奢なベッドの上にうつ伏せになり、肘をついて上体だけを起こしてノートパソコンに向かっていた。そういえば、次のコレクションのコンセプトを昨日までに纏めておかなければいけなかったような気がしないでも無い。
の背中に頭を置いて圧し掛かる。
彼女の肩甲骨と肩甲骨の間のくぼみは僕の為だけに存在している。ていうか、世界の美しい物全ては僕の為に存在してるんだけど。もちろん、僕も含む。
スプリングが軋んだ。この部屋は本来ウォーターベッドが置かれているんだけど、軋むスプリングこそワイセツの極みなので無理を言って取りかえてもらった。インスピレーションは昼も夜も構わずに湧いて来る物なので、好きなものにしか囲まれて居たくない。気を殺がれたくないのだ。
でも、はディスプレイに顔を向けたまま指をかたかたと動かしている。彼女の打ち込む文字を追えば、昨晩に二人で月の光差すプールにプルメリアの花を浮かべながら組み立てた物語が言葉として紡がれていた。
これは次の香水のプロモーションに使うためのストーリーだった。暗闇の中でも内側から発光するかのように魅力的な僕を表現した。
白い花弁の内側は黄色くて清楚さの中にも温かさを孕んでいるプルメリア。夏の夜にぴったりの香りになるはずだ。[
我々は世界中の人間=美的な感性を持っている生き物(つまり、美を感じられない人間は“ひとでなし”!)を満足させるために、昼夜を問わず清く正しく美しく頭脳労働している。
美を創造する事は容易い。……我々の感覚を僕ら以外の人達が理解できるように翻訳するのがホネなんだ。
世間には物が溢れているけど、素晴らしい物は少ない。
3秒後には流行遅れになってしまう物がほとんどで、それはすごく悲しくていつも胸を痛めている。でも僕らが作り上げるのは千年先まで残る美だ。
「そこ、“!”じゃなくて“!!”にしたいな」
「ええ、そうね」
気になる個所を指で示す。は軽くうなずいて修正した。
「それ、あともうすぐに終わる?」
「あと……少し。明日の朝までには……」
は上の空で言った。可哀そうに、僕の顔に向き合う余裕もないなんて。
「明日の朝ね」
首を傾け片目を細める。唇も左右非対称に歪めて笑い、企みを含めた笑顔が浮いた。そして指を鳴らすと、ばさりと音を立てて天蓋が降りた。
が驚いたように顔を上げる。重くぶ厚い天蓋はメインベッドルームのシャンデリアの光を遮断し、ベッドを闇で包む。ぼんやりと光るディスプレイがの顔を下から照らしていた。
「ギルデロイ……!」
は眉根を寄せ、こちらを振り向いた。その顔があまりにも可愛かったので両腕を広げると、あたりまえのように彼女はそこに収まった。
「僕はギルデロイ・ロックハート。でも今は、君を愛するただの男さ」
「もっと言って」
「欲張りな君。……夜のとばりが明けるまで朝はこないよ? ビロードの天蓋がヒバリのさえずりを遮って、ナイチンゲールが夜伽話を歌ってくれるさ」
の耳元で囁くと、彼女はこちらの耳にも小さく音を立ててキスをした。
「言葉を失うほどかい? 可愛いね」
僕は彼女の背後でノートパソコンの蓋を閉じる。ぱたん。
でも、は僕の腕から抜けだすと、また蓋を明けた。急に閉めたのでスリープモードになっていて、彼女はちょっと眉をひそめ、迷わずスタンバイさせる。
「!」
「だって、締め切りは3週間前の月曜だったのよ?」
「知ってるよ。でも、焦らせば焦らすほど価値って上がると思わない?」
「じゃあ、ギルデロイ。私もあなたを明日の朝まで焦らしても構わないかしら?」
「そんな! 君はそんな事をしなくても十分に価値があるし魅力的だし僕を惹き付けるよ」
「わがままを言ってもいい?」
「君の望みならなんでも聞いてあげるよ。僕が君を愛するのを邪魔する事以外なら」
「それなら、ギルデロイ。愛のあるまなざしで私を見守ってて。明日の朝まで」
「……君に敗北する瞬間の気持ちの良さは伝えた事があったっけ?」
「さぁ……でも私もあなたに屈服してばかりだから、たぶん解ると思うわ」
は肩をすくめて愛らしく笑うと、またキーボードに指を乗せた。僕は苦笑してのための飲み物を取りにキッチンへ行く。
「どうぞ、賢い君。の脳細胞へ激励を送ってもいいかな?」
のこめかみにキスをして、カクテルグラスを手渡す。薄いピンクの特製カクテルは心地よく彼女の喉を潤すはずだ。
は軽くうなずいてグラスを受け取り、唇を付けた。僕もその横に寝そべり、彼女が勤勉に働く様子を眺めていようと思った。
の指がキーボードの上を踊る様に跳ねる。
彼女は僕の頭の中の言葉の断片とイメージの洪水をなんとかかんとか.txtにはめ込もうと奮闘している。ディスプレイを眺める真剣な眼差し、たまに指を止めて思案する顔、せき止めていた躊躇を溶かしてまた流れる文章。
キーを押しこむカタカタという音が心地いい。そのリズムはまさに音楽で、の思考と直結しているのだ。
ふと、は指を止める。そしてこちらを振り返った。
その顔は薔薇色に上気している。彼女は知的好奇心を刺激されると血圧が上がる性質だけど、どうみてもあの頬の色は違う気分を表している。
僕は上品な微笑みを作り、彼女の言葉を待った。
「盛ったわね?」
はグラスに残ったピンク色のカクテルにまた唇を付け、一息で残りを飲み干した。
「いいや、違うよ。僕が君に提供してるのは僕の魅力だけさ。ずっと誘惑してるんだ」
「あなたの魅力にまた感染したわ」
「、君はとっくに保菌者さ」
を引き寄せ、熱のこもったキスをする。ぎゅっと抱いて身体を押し付けると、彼女も気付いた。
「ギルデロイ! あなたまさか……」
「君は、困ってる僕を助けずにいられないだろ?」
今夜、スロットマシーンの裏側で、カイロにある魔法薬の機関からバカンスにやってきた若い研究員と知り合った。休暇まで暑いところで過ごすなんて、彼はよっぽど砂漠を愛しているんだろうね。僕も泥の汚れ吸着効果には着目しているから、きっと砂にも何か良い事があるんだろう。
そんな彼と他愛もない賭けをして、僕が勝った。ちなみに賭けの内容は、カクテルを配り歩く女の子に、宿泊先の部屋番号を最初に告げるのは誰かという賭けだ。
中近東のカーマスートラを含むロマンが混ぜ込まれたピンク色の液体はとろりとしていて、ジンあたりにライムと一緒にまぜたらおいしそうだった。
の目はすでに蕩けていて、彼女の目に映る僕がきらめいている。内側から焙られる感覚にめまいがした。あとはシーツのシワと彼女の肌が冷ましてくれるとこと期待して倒れ込むだけだ。
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